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朝食時、ニュース番組を観たくないのだけれど……

質問

結城先生に質問というよりも相談です。

僕の家では朝食を食べる際、テレビがついています。朝の時間帯なので、ニュース番組が流れています。

僕は、この朝のニュース番組が苦手です。朝から、具体例は避けますが、重たい事件や目を背けたくなるような映像が流れていると、イライラというよりも悲しく朝から重たい気分になってしまいます。目で追わなくても、ナレーションが耳に入るだけで、嫌な気分になります。

僕は、この状況を解決したいと思っています。そこで2つの解決策を考えました。

まず一つは「自分が変わる方法」です。朝からニュースを観ても、傷つかない強い精神を手に入れたり、もっと無視できるスルースキルのようなものを手に入れる、ということです。

もう一つは「環境を変える方法」です。つまり、朝からニュース番組を観るのを家族にやめてもらうように、要求するということです。現状として、ニュース番組がルーティンとして組み込まれているので、変えるとなると父母にそれなりの負担を強いることになります。

以上の二つが、僕が思いついた解決策です。僕は、前者の方が望ましいかと思うのですが、結城先生は、どのように思われましたでしょうか。

もっと一般化して、自分と他人との関係の下で、自分の要求と相手の負担との落とし所を考えることについての、結城先生のお考えをお聞き出来るだけでも、嬉しいです。

結城浩のメールマガジン 2019年12月24日 Vol.404 より

回答

ご質問ありがとうございます。

自分が感じている問題に対して、何とかして対処しようとする気持ちはとても大事なものだと思います。

とはいえ、これは「一般化して考える話」ではなくて「特殊化して考える話」ではないかと感じました。つまり、「一般的にどうするかを考える」のではなく「あなたとご家族との関係においてどうするかを考える」ということです。

あなたのご家族が、いつもいがみ合っているのか、よくコミュニケーションが取れる家族なのかで話はまったく違うと思うからです。

あなたは「自分が変わる方法」と「環境を変える方法」の二択を考えておられるようです。それは別にいいのですけど、私だったら、自分で決めるのではなく、家族と話し合うのではないかなと思います。

それは、私に質問してきたようなことを、あなたが家族と相談するということです。それはあなたの二択では「環境を変える方法」に近いのかもしれませんが、ちょっと違います。「家族に要求する」のではなく、「家族と相談する」のです。要求と相談は違いますよね。

問題を解決するときに良い方法の一つは「自分だけで抱えたり、自分だけで決めるのではなく、他の人も当事者にしてしまうこと」です。迷惑をかけてはいけないと思ったり、めんどうだなあと思ったりするかもしれませんが、軽い迷惑を掛け合ったり、ちょっとしたことを話し合ったりする習慣ができていると、いざというときにも深い話ができるものです。

相手に変化を強いるかもしれない相談を行うのは、慣れないと億劫ですし、そもそも人間関係に大きく依存します。相談したり環境を変えたりせず、自分が変わる方が楽、と思う気持ちもわかります。

でも、たとえば、そういった相談を通して、相互理解が深まるのは非常によくあります。「ああ、この人はこういうことを気にかけるのか」のような個人の考え方が伝わる可能性があるからです。家族に対して、適切な分量の情報開示を行っておくことは、長期的に良い関係を築くのに役立ちます。

……といいつつも、それはもちろん、あなたとご家族との関係がどうなっているかに大きく依存します。ろくに口もきかないし、関係最悪という状態だとままなりません。

しかしながら、「ニュース番組を観るのをどうするか」ということくらいは、ふつうに相談できる方がいいんじゃないかな、と思いますよ。いっしょに暮らしているのですから。

そんなところです。ご質問ありがとうございました。

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