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何を行動の基準とすべきか(人生を歩む)

質問

結城先生。私はときどき、自分の行動が善なのか悪なのか分からなくなることがあります。

たとえば、自分は正義を貫いていると考えていても、客観的にみればそれは悪だ、という人もいます。

そういった場合、何を基準に行動をとるべきでしょうか。

結城浩のメールマガジン 2019年10月15日 Vol.394 より

回答

とても難しい問題です。そもそも、「〇〇を行動の基準に置く」こと自体の善悪はどう判断するのか。自分に基準を選ぶ力はあるのか。善悪とは何か。それらは、人間がずっと考えて答えを出せないでいることです。

私個人としては、基準の一つとして聖書を持ち、What would Jesus do?(もしもイエスさまだったらどうするだろう?)というスローガンを持っています。しかしながら、現実にはそれができないことは多く、そもそも思い出せないことも多く、うまく適用できないことも多いのです。

要するに、いくら「私の行動の基準はこうだ」と大上段に構えても、現実の前にはその基準から外れまくることも多いといえるでしょう。

一つの望みというか励ましは、こうです。たとえ善にはならなくても、正義ではないかも知れなくても、善を求め、正義を求める意思をなくさないことには意味があります。また、それと同時に、自分がいつのまにか悪に染まっていないか、正義の名を借りた邪悪なものになっていないかと問うことも大切です。

ところで、善を求め、正義を求める生き方というのは大事ですけれど、それに勝るものは「愛に生きる」ことだと私は思っています。

善は、しばしば相手の存在を忘れます。何が善か、というルールの方に気持ちが行ってしまうからです。正義に至っては、相手どころか人間全体を忘れることすらあります。でも、愛は、相手の存在を忘れません。相手の存在を忘れてしまったら、それは愛ではありません。

もしも、自分のやりたいようにやっていたならば、愛から離れている可能性を吟味した方がよさそうです。

自分のやりたいようにやるのではなく《相手のことを考える》のが愛の原則だからです。

私はそんなふうに思っています。

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#結城浩 #人生を歩む #相手のことを考える #行動の基準


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