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その都度、形にしておく(仕事の心がけ)

結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年5月24日 Vol.217 より

先日ある方から、結城が翻訳した文書への感想をいただきました。

上のWebページに置いてある翻訳文書は、結城が「フリーテキストの翻訳」に興味を持っていたときに作ったものです。いまから、もう十数年も昔のことです。

感想をいただいたついでに、Webページの文字コードがシフトJISになっていたところをUTF-8に直したり、こまごまと修正しました。タイミングをつかまえて直さないと、なかなか進まないからです。

修正しながら読み返すと、あちこち気になるところも出てきます。さすがに十数年も前の文章なので、現在よりもごつごつしており、また英語の構文に引きずられるような日本語も散見されます。

この翻訳活動は、純粋に趣味でやったことで、作品のいくつかはKDPで販売していますが、仕事でやったわけではありません。

でも結城は、この翻訳をやってよかったな、と思います。十数年前の私、Good Job!と言いたくなります。なぜかというと、この翻訳は「その時代にしかできなかった」感覚があるからです。

もちろん、フリーテキストの翻訳ですから、いまでもやる気になればできなくはありません。でも、そもそもそういう気持ちになるかどうか。

うまく説明できないのですが、当時の私には、「こういう活動をせずにはいられなかった」という感覚がありました。その「感覚」は大変あいまいなものですが、「翻訳されたテキスト」として具体的な形になっている。そしてそれが十数年後も人に読まれている。そこに何ともいえない喜びを感じるのです。あのときの気持ちを形にしておいてよかった、という喜びでしょうか。

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よく「○○は何の役に立つのですか?」という質問があります。○○が何の役に立つのかを問うことは大事です。しかし、知的活動には特に、そう簡単には割り切れないものがあります。

理由も、メリットも、何の役に立つかもわからない。でも、やむにやまれず書きたくなる文章というものがある。どうしても、これを形にしておきたいという感覚がある。

文章を書く活動の良いところは、書いた文章が残ることです。恥ずかしい文章であれ、拙い文章であれ、短い文章であれ、何だってかまいません。「これは私が書いた文章である」といえるものが形となって残る。これはほんとうにうれしいことです(だから、自分の書いた文章には、名前と年月日を必ず入れることを強くおすすめします)。

十数年前の「翻訳の部屋」というWebページを眺めながら、私はそんな喜びを感じています。

そして、《現在から十数年後の私》が現在を振り返ったとき、「ああ、こういう仕事をやってきてよかった」と思う仕事を、他ならぬ《現在の私》がしていかなければ、と決意を新たにするのです。

以上、

 その都度、形にしておく

というお話でした。

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