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理解したあとでも初心者の気持ちを忘れず説明するには(教えるときの心がけ)

質問

結城さんに質問です。

ある事項に詳しくなると、初心者でその事項が理解できなかったころの気持ちを忘れてしまいます。どこで詰まりやすいか、何がわかりにくいのかを忘れてしまうように思います。

結城さんは、理解したあとでもわかりやすく説明できるようですが、それはどうしてでしょうか。

結城浩のメールマガジン 2018年11月13日 Vol.346 より

回答

ご質問ありがとうございます。たいへん興味深い話題ですね。

自分のことなのでなかなか難しいですが、たぶん「理解したあとも、理解できていなかったときのことを覚えている」という単純な話ではないかと思います。理解はゼロ・イチではなく、グラデーションなので、さまざまな段階での理解のスナップショットを持っているのかもしれません。

何かを理解したときに「なぜ自分は理解できなかったのか」「何をきっかけに理解したのか」「自分の理解のどこにズレがあったのか」を考える性格ともいえます。理解した内容だけではなく、理解のトリガーと理解の差分を蓄える性格なのでしょう。季節の変わり目にリスがクルミを集めたがるように。

単純な例を出すと、数学の極限で lim f(x) = 0と書くところを lim f(x) → 0 と書いてしまうというのは典型的なミスです。結城も高校時代にそういうミスをしたことがあります。そのミスは、lim f(x) という表記が何を表しているかを理解していなかったことから起きました。結城はその経験をずっと覚えていました。テトラちゃんも同じ誤解をしてたみたいですね。

理解したときに周辺に散らばるクルミを集める性格は、数学以外にも当てはまるようです。打ち合わせでも雑談でもいいのですが、誰かとおしゃべりしていて、その意図がわからないとき、発言の理由を何年にもわたって考えることがあります。あの発言はどういう意図から出たのだろうと考えるともなく考えている。そういう探索タスクが複数本走っていて、それらが絡んで、人の気持ちの理解が深まるときもあります。数年後に「こういう意味だったのか」と気付くことも。

ああ、それから「概要はパッと理解するけど、ちゃんと理解するまでに時間が掛かる」という私の性格も関係しているかもしれません。説明文を読んでとりあえずのことを理解するのは早いんですが、本当のところまで理解するのは遅いんです。だから、自分の文章を何度も読み返して、書き直すことになる。その結果、わかりやすくなる。そういう側面もありそうです。

そんなところですかねえ。

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