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結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2018年6月19日 Vol.325

はじめに

結城浩です。

いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。

月曜日(2018年6月18日)の朝、大阪方面で震度6弱というたいへん大きな地震がありました。

被害に遭われた方へ、心からお見舞いを申し上げます。

目次

・「自分の得意なもの」を判断する基準
・角の立たない伝え方 - 教えるときの心がけ
・自分が書いたものに対する攻撃への対処 - 本を書く心がけ
・エクスポート/インポート - 再発見の発想法
・「ひとりSlack」で知的生活のパワーアップ(2) - 仕事の心がけ


「自分の得意なもの」を判断する基準

質問

学部三年の者です。

結城さんは「自分の得意なもの」を判断する基準は何だとお考えですか。

そろそろインターンを含む就活や院進を意識して動かないといけないのですが、将来何をしたいのか決まりません。

「何もしたくない」のではなく「やりたいことや興味関心のある分野が多すぎて決められない」という状態です。

そこで「自分の得意なもの」 を基準に考えてみようとしたところ、今度は自分の得意なこととは一体何なのかという問題にぶつかり先に進めずといった状況です。

これまで「自分の得意なもの」は何かを探るために、数学、生物、法律、経済、プログラミング、哲学というさまざまな分野に手を出してきましたが、どれも自分では得意だと確信はできません。

ぜひお考えをお聞かせください。

回答

ご質問ありがとうございます。

まず、「好き・嫌い」が自分で判断するものなのに対し、「得意・不得意」は他人から判断されるものじゃないでしょうか。

この活動は好き、この分野は嫌い、というのは自分の気持ちですが、得意・不得意というのは他人の判断や評価も大事になるという意味です。

その意味では、普段からさまざまな種類のアウトプットを出し、他者から何らかの評価を受けておくというのは、得意・不得意を知る上で大切なことだといえると思います。これまであなたは、自分の活動で第三者から評価を受けたことはあるでしょうか。

わたくしごとで恐縮ですが、結城は周りの人から「説明がうまい」「わかりやすい文章を書くのがうまい」という評価をいただくことがよくあります(感謝)。なので、それが得意なのだなと認識している部分があります。自分自身ではなかなか判断はできないものです。

ところで、あなたのように、自分のやりたい分野がいっぱいあって決められないというのは結構なことです。多くの人が「やりたいこと」を見つけられないでいます。

その一方で「どの分野が得意か」に対する自己理解ではなく、もう少し抽象度を上げた自己理解が必要なのではないかとも感じました。たくさん関心があるように見えても、そのコアのところ、核になる部分に「共通の何か」はないでしょうか。

人は変化するものです。これが不得意だと考えていたのに実際にやってみたら得意だった。あるいは、これは嫌いだと考えていたけれど実際にやってみたら意外に好きだったということもあります。少なくとも表面的な活動に関しては変化する場合があります。でも自分のコアの部分の価値観や興味・関心はあまり変化しないように思います。

ということで「自分の得意なもの」を判断するときには、

・自分の考えだけではなく、他者からの評価はどうか
・関心のある具体的な分野だけではなく、抽象度を上げたときの「共通の何か」はないか


を考えてみてはどうでしょうか。この二つをまとめるなら「自分自身を多面的に見る」ということになるわけですけれど。

あなたが、よい進路を見つけることができますように。

ご質問ありがとうございました。

角の立たない伝え方 - 教えるときの心がけ

質問

「自分の考えていることを伝えたい」と思っています。

人と話しているときに「この人とは考えが違うな」ということが多いです。

そんなとき、うまく自分の考えを相手に伝えたいのですが、伝える時点で相手に反対しているようになってしまい、角が立ってしまいます

しかし、結城先生の文章にはそのような印象を感じません。

先生がご自分の考えを相手に伝えるとき、角が立たないようにされているのでしょうか…

もしあれば、どのような工夫をなさっているか、教えてほしいです。

回答

ご質問ありがとうございます。

以下はあくまで自分の「心がけ」とご理解ください(つまり、実際にできてるかどうか怪しい場合もよくあるという意味です)。

結城は「角が立たないようにしている」というよりも「相手を動かそうとしていない」ように思います。

多くの人は、自分の考えや行動について他人からあれこれ指図されるのを嫌います。「あれしろ、これしろ、こう考えろ」なんて言われたくないのが多くの人の気持ちです。そうですよね。ふだんと違うことを強制されるのは好みません。

他人からあれこれ指図されたくはありませんが、でもその一方で、自分とは違う人の新しい話やおもしろい話を聞きたいという気持ちも同時に持っているものです。つまりふだんと違うことを求める気持ちもあります。

ふだんと違うことを強制されたくはないが、ふだんと違うことを求める気持ちもある。そのように、ちょっぴり矛盾しているのが多くの人の状態ではないでしょうか。

さて、自分の考えを相手に伝えようとするとき、少なからぬ人が「相手に伝える」ではなく「相手を動かす」ことをねらってしまいます。つまり新しい情報を与えて相手が自分から動くことを期待するのではなく、相手を直接的に自分の言葉で動かそうとしてしまうのです。それをやってしまうと相手は自分の身を防衛するような気持ちになってしまいますね。

書き言葉でも話し言葉でも同じですが、言葉は人の心を浮き彫りにしてしまいます。自分の考えを「相手に伝えたい」だけと思っているつもりでも、心の中に「あわよくば、自分の考えを認めさせたい。相手の考えを変えさせたい」という気持ちを持っていると、それは相手に伝わります。

人は、誰かから何かを言われて考えを変えることは滅多にありません。たいていは自分で納得して初めて考えを変えるものです。

また、考えを変えるよりもずっと以前の話として、多くの人は、他人の話を上の空で聞いています。多くの人は、大事だと思う人の話や、自分が「これは重要だ」と感じた話にしか耳を傾けないものです。

そしてまた多くの人は「他人の話を聞くこと」よりも「自分の話を他人に聞いてもらうこと」を求める場合が多いものです。自分が伝えたいことを受け入れてくれる人を求めるのが人情です。ちょうど、あなたと同じように(そして私と同じように)。

そのように人間というものを考えてみるならば、自分の考えていることを相手に伝えるには三つのことが大切だとわかります。

・相手の行動を変えようと思わないこと。
・相手に信頼してもらうこと。
・先に、相手の話を聞くこと。


この三点は、とても逆説的です。

・あわよくば相手の行動を変えたいなら、そんなことは思うな。
・信頼してもらうために自分の考えを伝えたいなら、まず信頼してもらえ。
・相手に伝えたいなら、まず聞け。

まるで、自分のやりたいことと真逆なことが要求されているようですけれど、よく考えれば当たり前のことです。「自分がしてほしいことを相手にする」こと、そして「自分がされたら嫌なことは相手に対してもしない」こと。それはコミュニケーションの黄金律ですから。それを守るのは大事ですね。

あなたの質問への直接的な回答ではありませんが、以上です。

ご質問ありがとうございました!

自分が書いたものに対する攻撃への対処 - 本を書く心がけ

質問

たくさんの人に本やテキストが読まれると、ごくわずかかもしれませんが攻撃的な感想(あるいは感想とも呼べない罵詈雑言)を受けることもあるのではないかと思います。

そういうものには、どのように対処されていますか。

「攻撃」をもろに受けてしまって、心がいつまでもざわざわすることはありませんか。

回答

ご質問ありがとうございます。

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