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ナルニア国物語について長男と話す(思い出の日記)

※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです。

長男「本を読む楽しさっていうのは、別の世界に行くおもしろさだね」

私「なになに、何だかすごいね。まさにその通りだと思う。別世界に行くことがファンタジーの本質だからね」

長男「たとえばナルニアを読む人はナルニアという世界に行く」

私「そうだね。ところで、そこに多重構造があるのは知っている?」

長男「どゆこと?」

私「登場人物と読んでいる私たちのことを考えてみると…」

長男「わかった! こうだね。中に入って、さらに中に入る」

私「うん。もう少し詳しく」

長男「んー。ナルニアを読んでいる人は、まず本の中の世界、つまりイギリスに入る。そしてピーターたちと共にナルニアに入る。二段階で中の世界に入る」

私「そう。その通りだ。そこから今度は考えを逆転させるともっとおもしろい」

長男「というと?」

私「もしもあなたが、イギリスのピーターだとしよう。ピーターはナルニアに行く。でもそのとき、ピーターと共に読者もナルニアに行く。すると?」

長男「?」

私「わたしたちがいるこの世界がピーターにとってのイギリスだとしよう。すると読者はどこにいるだろう」

長男「ああっ、そうか。この世界の外側にいる?」

私「そうそう。構造的にはそうだね。わたしたちの世界における歴史(history)を誰かが書いた物語(His story)だとしよう。そうすると、わたしたちの世界の外側に読者がいる。作者もね」

長男「ふむ」

私「『最後のたたかい』の後で、ピーターたちはさらに奥の世界へ行く。その世界では新たな物語が広がっている。わたしたちの世界にとってのさらに奥の世界はどこだろう。天国だね、きっと」

長男「ふんふん」

私「ナルニア七巻本の壮大な物語が表紙に過ぎないような、さらに先にある物語は、どんなにすばらしいものだろう。でもC.S.ルイスはそれを書かない。書いてしまったら、その物語を制約してしまうから。それと同じように、私たちのこの世の歴史全体が表紙に過ぎないような物語が、私たちの人生の先にある。聖書はその一部を示唆――黙示――する。ナルニア国物語と同じように」

長男「…」

私「本という別世界を知らない人生は味気ない。そして、人生の先にある永遠の世界――天国――を夢見ることない人生もまた味気ない」

 * * *

※2006年3月25日の「結城浩の日記」から。
http://www.hyuki.com/d/

※長男はこのころ、12歳。

※Photo by webtreats.
https://www.flickr.com/photos/webtreatsetc/4185326903/

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