ストレスの多くは他人を動かしたいという気持ちから来る(日々の日記)
私たちが感じるストレスの多くは、
ということから生じているという仮説を結城は持っています。
そして同時に「他人を思うように動かす」というのは、ほぼ不可能といういえるくらい難しいことだということも思います。
ある人間が、自分の思うように動かせる可能性があるのは「自分」だけですが、それですら、すでにかなり難しいものだと思います。自分自身を思うようになんて動かせません。少し考えれば、それはわかります。自分のことを思い通りに動かせている人なんて、どれだけいるでしょう。たとえばあなたは、自分のことを思い通りに動かせていますか。
自分の脳によって(心によって)動かせる可能性がある自分ですら、思うとおりに動かすのは難しい。ましてや他人を思い通りに動かせるわけがない。結城はそのように思います。
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ここで逆に考えてみる。
どうにもいらいらする。ストレスを感じる。もっと心おだやかに、静かな生活をしたいのにな。どうして私はこんなにストレスフルなんだろう……もしもそう感じるなら、
と問うてみたらどうだろうか。
もしも、他人を動かそうとしているなら(それは決して悪いこととは限らないが)、極めて困難な事業に取り組んでいるという意識を持った方がいい。実際、困難なことなんだから。
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「他人を動かすこと」をもう少し一般化すると、「自分がコントロールできないこと」と呼べるかもしれない。
それは困難な事業である。そして世の中は自分がコントロールできないことばかりだ。
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生きていくというのは、たいへんなことだ。
心地よい人生を送りたい。そのために生活を改善したい、軌道修正したい、人間関係を変化させたい。でもそのためには、多くの「自分がコントロールできない要素」と向かい合わなければならない。そして、それ自体がたいへんなことだ。
そのような問いは青臭い問いのように感じるかもしれない。世の中のことを何もしらない若者だけが問う問いに思えるかもしれない。
でも違う。
自分が人生に求めているものは何か。それはじっくり考える価値のある問題である。
誰にとっても人生は貴重だ。時間は大切だ。二十代の十年と四十代の十年は意味が違う(どちらが大事かという話ではない。持つ意味が違うという話だ)。
進学、就職、結婚、育児、老後、それぞれの局面で何度も問うことになる。
この問いは「選択」に関連している。人生で何かを選び、何かを捨てなければならないとき、つまり選択のとき「自分は人生をどのようなものと思うのか。人生に何を求めているのか。どうありたいと願うのか」という問いを行うことになる。
正解は誰も知らない。もし正解があったとしても、ひとりひとり違う。
選択は意思である。誰が何を言おうとも「私はこれでいい」なら、それでいいのではないか。他人は誰も、あなたの人生の責任を取ってくれない。
(少なくとも人間の範囲では、という条件が付くけれど。ここから一歩踏み込むと、信仰の領域に入ると結城は思っている)
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コントロールできないことをコントロールするのは難しい。というか不可能だ。そしてその典型が「人を動かすこと」だ。
これで「恋愛の難しさ」の理由もよくわかる。自分だけで完結しないからだ。恋愛では、自分以外の「他者」が存在する。
相手の気持ちが知りたい。相手の気持ちを変えたい。相手の気持ちや行動を変えるにはどうすればいいかを知りたい。私がこうしたときに相手がどう感じるかを知りたい。
すべて不可能なことである。しかし、恋愛はそれにチャレンジする。
難しいに決まっている。
特に答えはない。
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※結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年8月18日 Vol.177