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親と子の意識の違いについて(日々の日記)

※結城メルマガVol.061より

以前、こんなツイートをしたことがあります。

 若者の多くは、自分が立ち向かう老人が、
 かつて自分のような若者であったことに気づかない。
 老人の多くは、自分に立ち向かう若者が、
 いつか自分のような老人になることを知っている。
 残された時間が多い点では若者に勝ち目があり、
 多くを知る点では老人に勝ち目がある。

まあ若者と老人がいつも戦っているわけではないですが、ここに書いたようなことをときどき思います。結城は自分を老人だとも若者だとも思っていないのですが、子供の「親」ではあるわけです。

親として子供にあれこれ言いたくなることはあるし、実際言います。子供はきっと親が言うあれこれを「うるさいなあ」と思っているだろうと想像できます。「なんで親ってこんなにうるさいのかな」と。

どんな親も子供の時代があったはずなのに。そして親に対してある種の「反抗」や「理解されなさ」について思ったはずなのに。自分が親になってみると、親としての立場の難しさに驚きます。どうしても、よかれと思ってあれこれ言いたくなるんですよね。自分が子供のときは親からあれこれ言われたくなかったくせに。

親になってみて思うのは、自分は子供に対して何もできてないなということ。それに比べると、私の親は自分に対していろいろとうまくやってくれたんだな、と思わざるを得ません。つくづく「子を持って知る親の恩」という言葉の深さを考えます。

どうして自分は子供のとき、親も自分のような若い時代があったのだと想像できなかったんだろう。親も同じように悩んだのだ、とどうして思えなかったんだろう。そんなことを考えます。

人間の想像力というのはその程度のものなのかもしれません。実際にその立場になってみないとわからないことはたくさんある。

うん。そうだね。

自分はこれから年齢を加えていくのが楽しみです。きっと、若い人にはまだまだ理解できない世界を体験し、理解していくチャンスがやってくるわけですから。

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