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自分が破産しているという気分

あなたは、自分が破産しているという気分になることはないだろうか。

破産している気分(あるいは事実)。
自分の力では「やっていけない」という状況。
これは駄目だ、このままでは駄目だという焦り。
何かが違っている。ボタンを掛け違ったように、先へ進めば進むほど、「間違った道だけれど後戻りしにくい」という事態。

そういう立場に自分がいるのに気づくことはないだろうか。

ちなみに私はそういう気分に陥ることがよくあります。
いや、よくありました、と過去形にしたほうがよいかもしれない。

聖書の神さまを信じる前は、イエスさまを信じるよりも前には、そういう「自分は破産しているのだ」という感覚は間違っていると思っていた。

何とか立て直せる、自分の力で何とかなる、時が経てばうまくいく、単に錯覚に過ぎない、と思っていた。

でも、それは錯覚ではなかった。「自分は破産している」や「自分の力ではやっていけない」という感覚は、事実だったのだ。

イエスさまと出会って、私は愛されていることに気づいたし、破産している感覚というのは実は事実だということにも気づいた。自分の力ではやっていけないというのも事実だった。

そして、私はほっとした。もう頑張らなくて良いのだ。そう思ったから。

頑張る、というのはちょっと違うかな。

自分を何かしら凄い存在だと見せかける必要はないのだと思った。私は、私のままで良いのだと思った。

イエスさまは、私が悔い改めて良い人間になってから私を愛してくれるのではないと知った。イエスさまは、私がどろどろともがいているときから、神さまのことを知らないときから、「母の胎にいるとき」から、私のことを愛していたのだと知った。

私が良いことをしたら、神さまは喜ぶだろう。
私が悪いことをしたら、神さまは悲しむだろう。
しかし、どちらにしても、神さまの私に対する愛は変わらないだろう、と思った。

完全な愛。

失敗しても良いのだ。
うまくいかなくても良いのだ。
私は私のままで良い。

神さまに信頼し、毎日、毎日、今日という一歩を誠実に歩めば良いのだ。
何度も何度も失敗するだろう。
同じ間違いを何度も引き起こすだろう。
そのたびに、私は神さまにごめんなさいというだろう。
何度でも言おう。何度でも神さまに、ごめんなさいしよう。

うまくいかない。だから神さまに祈ろう。

自分の力でやっていけない。だから神さまに依り頼もう。

現在のすべてを、自分のすべてを、神さまに感謝しよう。感謝してみよう。

一度きりの人生で、神さまが用意してくださった状況。環境。人間関係。そこに自分が置かれている意味は何なのか、神さまに問うてみよう。

しかし、疑いとして問うのではなく、不信として問うのではなく、「願わくはその意味を理解することができますように」と神さまへの信頼として問おう。「でも神さま、たとえ状況が理解できなくても、私は神さまを信頼します」と宣言しよう。

感謝しても、愚痴っても、同じ時間が過ぎる。
それなら、私は感謝するほうを選ぶ。

まずは感謝。まずは賛美。
自分の生きている時間を、神さまへの信頼で満たしていこう。
自分の貴重な時間を、喜びと、祈りと、感謝で、埋め尽くそう!

 * * *

 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
 すべての事について、感謝しなさい。
 これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
 (新約聖書 テサロニケ人への手紙第一 5章16節から18節)

 * * *

(2007年9月20日の「結城浩の日記」から)

※豊かな人生のための四つの法則
https://www.hyuki.com/four/laws.html

※あなたのために、祈ります。
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