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自分らしく生きなければならないという呪い

結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2017年3月14日 Vol.259 より

自分らしく生きなければならないという呪い

ある朝、私は「自分らしく生きなければならないという呪い」について考えていました。

そんなことを考えたきっかけはよく覚えていません。Webで自己啓発的な記事を見たためでしょうか。もしかしたら、学生さんからやってきた「進路に悩むメール」に返事を書いていたためかもしれません。

ともかく「自分らしく生きなければならないという呪い」というものは確かにありそうだなあと思いました。

「呪い(のろい)」なんて表現を使うのは、大げさに聞こえるかもしれませんね。いささかぶっそうでもあります。

私が「呪い」と書いたのは、「自分らしく生きなければならない」という気持ちが、自分に絡みついてしょうがない場合があると思うからです。この気持ちがどこから来たかよくわからず、自分が求めているかどうかもわからないけれど、振り払っても振り払っても自分にまとわりつく思いのことを「呪い」と呼んでみました。

私は「自分らしく生きる」ってそんなに大事なことなのかな、とも考えていました。

もちろん「誰かから強制される生き方がいい」というのではありません。また「押しつけられた生き方に甘んじよ」と乱暴な意見を持っているのでもありません。くどくど具体例は挙げませんけれど、理不尽な束縛や不当に縛られた生き方をしている人が、そこから解放され、抜け出すことはとても大切です。本来の自分ではない生き方で構わない、なんてことはありません。

私は先ほど「自分らしく生きなければならないという呪い」と表現しました。これは、「自分らしく生きなくては」「自由に生きなくては」という気持ちというものは、極端に走った場合、それ自身が新たな束縛になってしまうものだよ、と言いたかったのです。

自分らしい・自分ならではの・世界にどこにもない・私の可能性を最大限に生かした……そのような生き方を《しなければならない》と考えるのは、逆に自由を奪ってしまう危険性があるのではないでしょうか。

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