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『暗号技術入門』や『数学ガール』をどう書いたか、手書きメモを公開します(本を書く心がけ)

※ほぼ半分を無料公開しているノートです(結城メルマガVol.032より)

今回の「本を書く心がけ」は「手書きノートのスナップショット」をお送りします。

このコーナーは、結城が書籍を書くときにノートに手書きしていたメモをお見せするというものです。メモが何を意味しているか、書籍にはどう反映されたのかを合わせて解説します。執筆の舞台裏をちょっぴりお見せしているといえるかもしれません。

●「自然な流れ」を作り出す

まずは、『暗号技術入門』という書籍を書いていたときのメモです。執筆のためのメモはたくさん書いているのですが、そのうちのとある一ページです。

 ◆『暗号技術入門――秘密の国のアリス』(手書きメモ)

上のメモは、日付によると2002年9月24日に書いたものですね。いまからざっと10年くらい前になります。このメモは、「どんな内容の本にしていこうかな」と考えているときに書いていたものです。

この時点で調べ物はそれなりに終わり、自分の頭の中に重要な概念はすでに入っています。でも、概念を羅列しただけでは書籍になりません。書籍という形にして読者さんに読んでいただくためには、どうしても「ストーリー」が必要なのです。

ストーリーといっても「数学ガール」のような物語という意味ではなく、

 「自然な流れ」

という意味です。それは書籍にどうしても必要なもの。

読者さんに知識や情報を投げつけて終わりにしてはいけない。読者さんに無理なく届き、心や頭に自然に流れ込み、しっくりと収まるように文章を組み立てていかなければなりません。

そのために結城は、自分の頭にある情報をもとにノートに向かい、「自然な流れ」がうまく出てくるようにメモを書いているのです。

 ◆メモより:

 暗号では本当のマジックナンバーは使われない。

 backdoorのキケンがあるからだ。

暗号技術では、アルゴリズムに必要な数値(マジックナンバー)は、円周率や対数の底など、人間がバックドアを仕込めないような数を使います。上のメモではそのことを思い出しながら書いています。

 ◆メモより:
 ・あなたが、けっして他人に知られたくないコトバをかくしたいとき、どうするか。
  →おぼえておく
  →おぼえられないとき
  →かみにかいて、本棚のうしろにおいておく
  →もっと、もっと、かくしたいとき、
   たとえばあなたの全財産、
   あなたの命がかかっている文字列を守るとしたらどうするか……
 それがcryptographyだ。

暗号技術では「かくす(隠す)」ことは重要なテーマになります。上のメモでは、その「隠す」という言葉から「自然な流れ」が出てこないかを探っていますね。

「隠したいとき、覚えておく」のは当然として、では「覚えられないとき、どうする?」のように、

 「自然に浮かび上がる問いかけ」

を自分自身にぶつけます。そして何とかその問いに自分で答えようとする。自問自答の姿勢です。

そのように自問自答を繰り返して、やがて「全財産」や「命」という極限の状況まで考える。そして「それを守るのがcryptographyだ」と宣言する。歌舞伎でいう「見得を切る」というのに近い。

見得を切るメモを書き付けながら、結城は一人で

 「くううっ、こりゃ、おもしろい本になりそうだぞっ!」

と興奮することになります。書き手の興奮状態(ライターズ・ハイ)ですね。

さらにメモは続きます。

 ◆メモより:
 ・かくす=ステガノ or クリプト
  / しかし、トラフィック解析がある
  / だれのためにかくすか、なにをかくすか
  かくすだけならすてればいい。
  かくすというのは、特定の人にはかくさないからイミがある。
  つまりは、本人の認証もかんれんしてくるのだ。
 ・カギはアルゴリズムを自分専用のモノにしてしまう。
  カギというヒユは正しい。

このメモでは、

 自分を含めた
 すべての人に見せたくないだけなら、

 その文字列を捨ててしまえばいい。

ということを書いています。それはそうですね。データを破棄して捨ててしまえば誰にも見られません。

でも、暗号技術が目指しているのは単なるデータ破棄ではありません。なぜなら、

 すべての人に見せたくない

というのではなく、

 ほとんどの人には見せたくない。
 しかし、特定の人には見せたい。

というのが暗号技術だからです。たとえば暗号化したメールは、通信相手には見せたいですよね。

結城はそんなことをメモに書きながら、自分で「うんうん確かに」と思い、「それはそうだよな」と頷きます。

そして次の瞬間「はっ」と気がつきます。ということは……暗号技術においては、

 あなたは誰ですか?

ということが関わってくるはずです。

 あなたは、あなたですか?
 あなたは、ほんとうのあなたですか?
 あなたは、この手紙を見せてもいいあなたですか?

つまり、これは「本人の認証」を意味しています。

暗号技術は認証技術と深く関わっています。「隠す」という言葉を探っていくことで、暗号技術から認証技術へと自然に話が流れることがわかりますね。そうです、これが、

 「自然な流れ」

なのです。自問自答に答えているうちに見つかってくる自然な流れ。これがストーリーになります。

「暗号技術」が「認証技術」に関わっているというのは、暗号技術の専門家には当然のことです。しかし、それをあらためて「自然な流れ」として書いて読者に提示することが大切です。そのような「自然な流れ」を生み出すことができれば、読みやすい書籍が誕生します。

「自然な流れ」は大切です。

読者は本を読みながらさまざまな疑問を抱きます。その疑問に的確に答えるためには、どうしても、執筆者がまず「読者の疑問」に気づき、それに答える必要があります。

そのためにも、ノートに向かって「自然な流れ」を探ることは書籍を執筆する上でとても大切なことだと思います。

……って、うわっ、まずい!一つのメモだけで、たくさん文章を書きすぎました。そろそろ先に進みましょう。

 ◆メモより:
 [イントロの物語]→[構成図]→[かんたんな定式化]
   →[くわしいせつめい]→[かんれんするわだい]→[クイズ]

上のようなメモを書きました。手書きだとひらがなが多くなるので、まるで小学生の文章みたいですね。

このメモは、章の構成を考えているところです。特にこの章は、いくつかのアルゴリズムを紹介するところですので、アルゴリズムごとにどう構成するかも合わせて考えているようです。

「イントロの物語」とは何かというと、説明する内容をわかりやすい物語でさくっと伝えるものです。暗号技術は基本的に難解なものです。わかってしまえばそれほどでもないのですが、わかるまでは何をやっているかさっぱりわからないこともあります。ですから「イントロの物語」で「ざっくりいって、こういうことだよ」と答えてあげると読者さんは安心して先に進めるのです。

しかし、ここで注意が必要です。読者さんに安心してもらうといっても、ただの軽口やジョークを書いても意味はありません。また、つまらない一部分を切り出してもだめです。説明する内容の本質をしっかりつかみ、それを簡潔に書く必要があります。しかし、これこそ「言うは易く行うは難し」の典型です。

ともかく、実際にどのような構成になったか、書籍になった『暗号技術入門』の目次で確認してみましょう。

 ◆『暗号技術入門――秘密の国のアリス』(書籍)

これは書籍の目次の一部です。この章では「使い捨てパッド」「DES」「トリプルDES」「Rijndael」という四つのアルゴリズムを紹介しています。それぞれの節で「○○○とは何か」と導入して「暗号化と復号化」という解説に進んでいるのがわかると思います。

ともかく、本を書くときには自分の知っている知識をただ並べてはだめで、きちんと自分の中で消化して「自然な流れ」を作り出せるようにしている必要があると思います。

ここまででおおよそ半分です。以降も同じような調子で文章と画像が続きます。もし「おもしろそうだな」と思った方はぜひご購入をお願いします。

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