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「わからない」とうまく付き合いたい(学ぶときの心がけ)

質問

勉強はわかると楽しいです。

でもわからないと辛いです。ストレスになります。

テキストを理解できないという状態がこわいです。

どうすれば「わからない」とうまく付き合っていけるでしょうか。

結城浩のメールマガジン 2018年10月23日 Vol.343 より

回答

ご質問ありがとうございます。

確かに「勉強がわからない」や「読んでいるテキストが理解できない」というのはこわいです。

でも、その自分の状態は注意深く調べる必要があります。

結城自身の話をしましょう。

私の場合は、純粋に「わからない」ことがストレスなのではなく、「わからない」という状況をきっかけとして自尊心や虚栄心やセルフイメージが傷つくときにストレスになるようです。

「わからない」はストレスじゃありません。「わからない」に対していろいろくっついてくるものがストレスなのです。

いろいろくっついてくるもの?

「わからない。でも、本来の私は、これはすぐに理解できてしかるべきはずだ。でも、理解できない。理解できないとは、私はなんてバカなんだ。こんなことでは私はダメだ。私はいつだってそうだ。こんな簡単なことも理解できない。これからもずっとそうだろう。いったいどうしよう。どうしようもないぞ」

となるのがストレス。

文章に書くと何だか滑稽ですし、極端な表現のように思えます。実際、上に書いた文章はやや大げさに書きました。でも、意外に多くの人がこれと同じようなことを心の中で考えているんじゃないでしょうか。そして心の中だとその滑稽さに気付きません。

「なーんにもわかんなくていいや」などと向上心がなくなるのは困ります。でも「わからない」をきっかけにして「自分はダメだ、ダメだ、ダメダメだ」と「ダメダメ音頭」を一人で踊り出すのも困りますよね。

ですから、現実をありのままに見るようにしています。まず現実を事実として押さえる。「わからない」なら「わからない」。ニュートラルな気持ちで押さえたら、まずはそこでストップします。それから深呼吸して仕切り直して、ではどうするかを考えるのです。

もういっぺん考えてみる。少し戻ってやり直してみる。別の角度からやってみる。本に「あとでやる」と印をつけて先に進む。別のことをする。どうせ選択肢はそんなところですから、どれかを選んで進みます。焦ってもしょうがないからです。

一番こわいのは、自分が「わからない」状態であること自体に気付かないケースです。「わからない」という事実を事実として受け止めるなら考えようはあります。でも、自分が「わからない」ことに気付かないなら対処のしようすらなくなってしまいますからね。

「わからない」を「わかったふり」に変えてしまうのは論外ですし、「わからない」を「だから自分はダメ」に変えてしまうのもよくありません。「わからない」という事実と「自分の良し悪し」という評価とを分けて考えることが大事なのです。

事実と評価とを分けて考える。これです。

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