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高校時代の学びについて(学ぶときの心がけ)

先日「三角関数を高校時代に学ぶことの意味」のような話題がネットで流れていました。それに関連して、結城は「高校時代の学び」全般について考えていました。

結城は高校の時、選択科目で「世界史」を選びました。「日本史」は選びませんでした。

選択科目として取らなかったことがどれだけ影響しているかわかりませんが、結城は現在、日本史のことはあまり知らないし、それほど興味もわきません。世界史の方がまだしも「勉強した」感はありますし、関心もあります。もっとも、テトラちゃん風にいえば、《ほんとうには分かってない感じ》がしますね。日本史であれ、世界史であれ。

いまでも覚えているんですが、世界史を高校で学ぶときに私は、自分に向かって、こんなふうに言いました。

世界史は受験科目だ。そして、世界史は暗記科目なんだから、とにかくひたすら暗記しよう。

自分に対してこのように言ったことを、いまでもよく覚えています。そして、がんばって暗記しましたから、高校時代はそれなりに点は取れました。でも受験が終わればその大半はどこかに消えてしまいました。

高校時代にそれなりに時間を掛けて勉強(という名の暗記)をしたのに、現在さっぱり残っていないなんてとても悲しい話です。また、いろんな本を読むときに歴史的な感覚に欠けるのは、残念なものがありますね。

どうしてこんな世界史の話をしているかというと、私は同時に数学のことを考えているのです。私が現在世界史に感じている感覚というのは、受験のためだけに数学を暗記で乗り切った人が、卒業後に数学に感じる感覚と似てるのではないか、と想像します。

高校時代にそれなりに時間を掛けたけど、現在さっぱり残っていないのは悲しいな、と。

結城の場合、世界史の先生が悪かったわけでも、世界史の教材や授業が悪かったわけでもないと思います。完全に自分の責任ですね。自分に対して「これは暗記科目にしてしまえ」という決心をした。心決めをした。それがとても大きかったと思います。

たとえば、数学に感じたような興味を、世界史にも感じることができたなら。そして少しだけ、ほんの少しだけでいいから、世界史を深く学ぼうとする気持ちがあったなら、世界史ともうすこし《お友達》になれたんじゃないかなあ、と思うのです。

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関連する話題として古文の話をします。結城の祖母は古文が好きで、百人一首や徒然草や、そういう古典の世界を垣間見せてくれました。といっても、ほんのちょっとしたことです。百人一首を読んでくれたり、教育テレビで古文の講座があると「ちょっとこれ観なさい」と私を呼んだり。そんな、ほんの、ちょっとしたこと。

たったそれだけのことなんだけど、中学時代も高校時代も、結城は古文と《お友達》でいられました。いま「古文を読め」といわれても読めませんが……でも、古語辞典をひきながら、古文を楽しむことはそれなりにできます。古今和歌集の現代語訳を作って楽しもうなんて気持ちにもなります。

古文に対するこのような感覚は、「得意じゃないけど好き」という状態に近いですね。よく「数学は得意じゃないけど、好き」という人がたまにいますが、あれと似ているかもしれません。

科目の好みに対する結城の感覚としては、ざっくりいえばこうです。

・「数学」や「物理」は好きで得意。
・「英語」や「古文」は得意じゃないけど好き。
・「歴史」は得意でもないし、それほど好きでもない。

これが私の生来の好みなのか、若い時代の経験に由来するのか、はっきりとはわかりませんけれど。

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若いときに学んだ内容というのは、ほんとうに価値があります。当時のテストがよくなくても、学校の成績が悪くても関係なくて、「学校の学びをきっかけにして自分で学んだ知識」というのは深く自分の中にしみいるように思いますね。

決して、若いときに100を身につけなくてもいいんですよ。たとえば20とか10とか、いやいや1や0.1でもいい。とにかく0でなければいい。大人になってから何かを学んだり何かにトライするときに、若いときの学びが貴重な貴重な「種」となると思いますね。

若いときに100は身につかなそうだと思って、ぜんぶ捨ててしまうのはすごくもったいないと感じます。もちろん、あれもこれも無理にやる必要はないんですけれど、「自分には合わない」などといって、早期に枝刈りするのはもったいない。

自分の肌に合うもの、こりゃ面白いというもの。それらは、若いうちにどんどん深く広く学ぶのがいいと私は思います。でも逆に「これは自分には要らないな」と早合点しないことも大事なんじゃないでしょうか。もちろん各人の判断なんですけどね。

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学校や、若い人を取り巻く環境に期待したいこと。それは、いろんな学びのきっかけや種やチャンスを、若い人に与えてほしいこと。そして、若い人の「おもしろい!」という気持ちをはげまし、応援してほしいこと。つたなくても、ばかにしたり、けなしたりしないこと。

さらに、学びの「魅力」を若い人に伝えてほしいと思うのです。これは学校や先生に対してだけではなく、若い人のそばにいる人たちすべてへの願いです。

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結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年9月6日 Vol.232 より

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