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「数学ガール」はどうして「ガール」なのですか(本を書く心がけ)

質問

結城先生の『数学ガール』は、どうして「ガール」なのですか。読者に男性が多いからでしょうか。

結城浩のメールマガジン 2021年2月16日 Vol.464 より

回答

ご質問ありがとうございます。少し長くなりますが、じっくりお話させてください。


結城が数学を学んだ環境

私には姉がいます。私は小さいころから姉によく数学を教わりました。三角関数や積分なども姉から教わりましたし、数学の参考書を選ぶときも姉に助けてもらいました。

私の中学時代の数学教師は三年間ずっと女性でした。姉とのやりとり、教師とのやりとりを通じて、私にとって「数学を深く理解していて幅広く教えてくれる女性」はとても身近で自然な存在なのです。

私は高校時代いわゆる理系クラスにいました。理系クラスなので当たり前のことですが、男女を問わず数学が得意な生徒が多く、男女の別なく互いに数学の問題を出し合ったり、教え合ったりする環境や雰囲気がありました。「この問題解ける?」や「なぜそれが成り立つかわからないなあ」などと互いに話し合うのです。

そのような環境で、私は数学をとても楽しみながら学びました。教室で、放課後の図書室で、通学の電車の中で……自分ひとりが学ぶだけではなく、クラスメートに教えたり、教えられたりする経験がたくさんありました。

数学ガールが誕生した経緯

私がWebで数学ガールの原型を書き始めたときには、女性が物語の中心にいて、語り部が男性になることがほとんどでした。小さいころから姉や女性の教師に数学を教わった私にとっては、それが自然な姿だったのでしょう。

初期のころに書いた「ミルカさん」という物語では、数学がよくできる女性のミルカさんと、男性の「僕」の二人しか出てきませんでした。しいて言えばミルカさんが教え、「僕」が教えられる側となります。

でもやがて、もう一人の女性のテトラちゃんが登場してくれて、その二人のあいだでは、しいて言えば「僕」が教える側で、テトラちゃんが教えられる側になります。しいて言えば、ですが。

ミルカさんと「僕」とテトラちゃん。

ここに、男女の別なく数学を楽しみながら互いに教え、互いに教えられたりする最小単位が誕生しました。

これは、私が高校時代に体験した理系クラスにおける幸福な学びの体験をぎゅっと濃縮してエッセンスにしたような状況といえるでしょう。

「数学ガール」シリーズでは巻が増えるごとに女性キャラばかりが増えるのはいささかバランスが悪いですが、これは作者の力量不足と考えていただいてもいいかもしれません。

『数学ガール』と女性読者の関係

中学生・高校生の中には、自分が数学に興味があることを隠したり、数学が得意であることを恥ずかしがる女性がいるそうです。数学を好きだといったら、友達から変な目で見られるのではないかと思って言い出せないのだそうです。中学生・高校生に限らないかもしれません。それは何と悲しいことでしょう。

そんな中、数学が好きなある女性からいただいたメールにはこんな主旨のことが書いてありました。その女性は自分の友達に『数学ガール』を読んでもらい、本を通じて「数学が楽しい」と共感してもらうことができ、一緒に数学が楽しめるようになったのだそうです。

そういったメールを女性からいただき、私は本当にうれしく思いました。私が高校時代に感じた幸せな学びの環境を『数学ガール』を通じてその女性にプレゼントできたような気持ちになったからです。好きな学びを仲間と分かち合えるなんてすばらしいことです!

数学ガールのファンの方に男性が多いことは確かですが、想像以上に女性のファンもたくさんいらっしゃいます。それは読者さんからのメールでもわかりますし、これまでに行った講演などでの反応からもわかります。また、数学ガールを生徒さんに紹介してくださっている学校の先生からも、男女の別なく読まれているようすが伝えられています。

『数学ガール』の世界では、役割は固定的ではない

さきほどは「ミルカさんが教えて「僕」が教えられる」や「「僕」が教えてテトラちゃんが教えられる」と簡単に表現しました。しかし『数学ガール』の読者さんならよくわかるとおり、話はそう単純ではありません。

というのは、ひとつの問題に取り組んでいる仲間の果たす役割は固定的なものではないからです。登場人物のあいだには双方向のやりとりがあり、それによって「一人では解決できなかった問題が解決できる」場合や「一人で考えるよりも深い理解に至る」場合がよくあります。

数学ガールを読まない方が「男性が女性に教える構図だから嫌い」と語っているのをまれに耳にすることがあります。でも、数学ガールの世界では「男性が女性に教える」場合もありますし「女性が男性に教える」場合もあります。数学ガールの世界では、男性と女性に固定的な役割があるわけではないのです。また、そもそも各個人に関してすら、その役割は固定的ではありません。一人の人が、同じ人を相手に「教える」場合も「教わる」場合もあるのです。取り組む問題や、お互いの持っている能力や知識や関心に応じて、教えたり教えられたりする。そういう世界であることを強調しておきたいです。

『数学ガール』の登場人物たちはそれぞれの考えや個性や得意/不得意を持っており、一つの数学の概念に対しても多方面からアプローチを試みます。私は、彼女たちのその姿を見ながら、互いに信頼し合っている多様な仲間とともに学ぶことの意義を深く感じているのです。

広がっていく『数学ガール』の世界

『数学ガール』は英訳されて大分前にアメリカの数学誌でも紹介されました。「日本では数学ができる女性が中心的な活躍をする本が読まれている!」という好意的な書評もありました。

男性・女性の話題はたいへんデリケートなものですし、人はそれぞれ個人的にいろんな経験があるものです。その中には他人から想像できないようなものもあるでしょう。ですから『数学ガール』というタイトルに嫌悪感を抱く方や、内容とは無関係に批判をする方がいても不思議ではありません。

しかしながら、結城が『数学ガール』を書き始めたときの経緯などについては、おおむねここまで述べてきた通りですし、私は女性が中心的な役割を果たしている『数学ガール』を大切なもの、意味あるものとしてこの十数年書き続けてきました。

ご理解くださり、これからも『数学ガール』シリーズを応援していただければ感謝です。

『数学ガール』がどんなふうにして誕生したかという経緯については、公立はこだて未来大学での講演会でお話ししたことがあり、それは講演集という形で本になっています。

私の姉についての、本当にささやかで個人的な思い出話がこちらにあります。

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