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遠くまで、とどくように。(本を書く心がけ)

先日、とあるお店で買い物をしました。

そのお店では、レジの人はみな「うたう」んですよ。

歌をうたうというわけではないですね。独特の音程で品物を読み上げるということです。

ニンジン〇〇え〜ん
キャベツ〇〇え〜ん
トマト二点で○○え〜ん

のように。しかも、ある特定の個人がうたうのではなく、レジの人がみんな、同じ音程でうたうんです。

そんな話をツイートしていたら、@uni1000yama1000 さんから、「そろばんの読上算の名残かなぁ」というコメントをいただきました。

なるほど、そろばん! 確かに、耳をすましてよく聞きますと、そのような雰囲気はありますね。最初に「ご破算で願いましては〜」と言ってもおかしくありません。

複数のレジが並んでいるので、さながらコーラスか、教会の交読文のような風情があります(大げさにいえば)。その店で働き始めた人は、きっとその「うたいかた」を練習するのでしょう。

 * * *

ところで、19世紀フランスの哲学者アランの小文に、「うたう叫び声」というものがあります。そこには日常での「うたう声」について書かれています。以下、ちくま哲学の森6『詩と真実』所収、アラン「芸術に関する101章より」(高橋正二訳)から引用します。

朝になると、往来のほうで、物売りのうたう叫び声を、あなたは聞く。その叫び声を耳にすると、いま何時ごろになったかということが、あなたにはわかる。

結城は、この書き出しがとても好きです。何でもない、当たり前のことを書いているのに、この文章にはすっと引き込まれるような魅力があるからです。別の箇所からもう少し引用しますね。

遠方へ伝える言葉は、おのずから、音楽的になる。遠方へ伝える言葉は日常の言葉のアクセントから、旋律を借用する。しかし、この旋律は、よりよく理解されるように、より遠くまでとどくように、純粋化され、単純化される。

いいなあ! こういう文章、大好きです。この文章自体が、うたうように書かれているみたい。アランのこの文章を初めて読んだのは、結城が大学生のころでした。私が書く本のあちこちには、この文章の響きがほんのわずか残っているかもしれません。以下、結城浩『数学ガール/フェルマーの最終定理』より引用。

「孤独な人は手紙を書く」とミルカさんが言った。「孤独な数学者は論文を書く。未来の誰かに伝えるために、論文という名の手紙を書く」

うたう声が、そこにある。

遠くまで、とどくように。

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結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2017年11月28日 Vol.296 より

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