思考を言語化するのが苦手(コミュニケーションのヒント)
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思考を言語化するのが苦手(コミュニケーションのヒント)

質問

結城先生、こんにちは。数学ガールを楽しく読ませていただいております。数学ガールの「僕」は、思考を言語化することに長けていると感じます。それに対してぼくは、自分の思考回路を言語化して論理的に説明すること・文字に起こすことが苦手で、そのため自分がいま一体何を考えているのかすら見失うことが多々あります。

いろいろ思考した後、もう一度そこに至るまでの思考を繰り返して、それを言語化しようとするときのことです。最終的な主張があって(主張自体は言語化できます)そこに至るまでの思考回路を言語化しようとするのですが、まるで毛糸が何重にも絡まったような状態になって結局、思考の軸となったマインドマップ的な単語の群れしか浮かばなくなります。

また、文章として繋がったとしても別の問題が浮上します。思考回路を説明するためにあれこれ考えているうちに、その思考回路に至った思考回路を説明しないといけないと考えるようになってそれが幾重にも連なって結局何を言いたいのか分からなくなることがあるのです。ぐちゃぐちゃに丸まった毛糸玉をほぐそうとゴールから順に思考を一本道に整備しようとするのですが、やはり途中でまた絡まりが大きくなる、といった感覚です。

(現にこの質問は、別の質問をしようとしたけれど何と説明すれば自分の言いたいことが伝わり、また求める答えが得られるのかが分からなくなったので質問しているのです…)

結城先生は思考をいつも明快に説明することができますか。もしできないこともあるとしたら、できる場合との違いはどこにあり、その壁は越えられると思いますか。

結城浩のメールマガジン 2019年7月9日 Vol.380 より

回答

ご質問ありがとうございます。

もちろん、私は思考をいつもうまく言語化できるとは限りません。できるときもできないときもあります。多くの場合、言語化できないのは「たくさんのことを一度に言語化しようとしている」ときですね。

言語化するというのは、必然的に思考の一部分だけを切り出さざるをえません。しかもある程度まとまりを持った部分だけを切り出すことになります。なので、思考の何をどう言語化するかを「見切る」必要があります。せっかく作ったからといって炊飯器のごはん全部を相手に出すわけにはいきません。お茶碗一杯分をよそって出すのです。

言語化が苦手で、しかも言語化がうまくなりたいというならば、大きな野望をいったん捨てて、小さく行くことをお勧めします。ほんとに小さいことでいいから、自分が考えたことの一部を言葉にうつすのです。考えたことのすべてを言葉にするとか、思考の流れ全体を言語化するとか、そういう野望をいったん捨てましょう。

たとえていうならば、レゴブロックのピース一個だけを言葉にする。そしてそれを繰り返す。ある程度ピースがたまったら、それらを組み上げる。それは自分の思考を、脳の外側でやるみたいな感じになります。

もちろんそれは、自分が脳の中でやっている作業と大きく異なった手触りになりますから。「ちがうんだ、自分の思考はこんなもんじゃないんだ」と言いたくなります。そのずれは一気には埋まりません。

少し余談。

私は自分の言語化について逆に考えることが多いです。つまり「きちんと説明できたことは、ちゃんと考えたことである」「ちゃんと言葉で説明できないのなら、じつはきちんと思考していないのだ」と考えるようにしています。これは自分が文章を書くことを仕事にしているからだと思います。

まとまった言葉にできていないと、再現性がありません。思考するのは心地よいものですけれど、それは一回性の体験です。まとまった言葉にするためには整理して不要な部分を取り除き、順序を考えて並べる必要があります。そうして初めて「再現性のある思考」になったと考えています。

といっても、他の人にそれを押しつけるつもりはありません(文章にしてないんだから、あなたは思考してない、なんて言うつもりはありません)。でも、自分に対しては、よく考えるだけではなくそれを言葉にすることを重視しています。それを心がけていると、言葉にしないときの思考もまた整理されやすくなると感じるからです。

余談終了。あなたの質問に戻ります。

あなたは「思考回路を説明する必要性を感じる」ようですが、私はそこが要注意ポイントだと思っています。言語化して説明するとき、あなたの思考回路を説明する必要は本当にあるでしょうか。《読者のことを考える》という原則に立つと、思考回路の説明は必須ではないと感じるのです。

自分はAと考えて、Bと考えて、Cと考えて、Dという結論に達した。その流れを言葉にする必要はあるでしょうか。考えた本人はその流れがわかりやすいと思うでしょうけれど、説明される側にとってはどうでしょうかね。ABCDを練り直してまったく新しいαβγを並べる方がいい場合も少なくない、と私は思います。

ご質問ありがとうございました。

質問者からの返信

結城先生、こんにちは。

「思考の言語化」について質問した者です。質問に答えていただきありがとうございます。

ぼくは最近数学の本を読んでいて、定理の証明を考えたあとにそれをそのまま文章にして説明しようとしていたから失敗(というか挫折)していたんだなと思いました(数学をやる上で致命的)。

思考を小出しにして段々ずれを埋めていくことを実践してみると、(時間は掛かりますが)今のところなんとかうまくいっています。

「大きな野望をいったん捨てて、小さく行く」や思考との「ずれは一気には埋まりません」という言葉を聞いて「それでよかったんだ」と気づきました。

また「自分の思考を、脳の外でやる」というのは、ぼくにとって新しい見方で、とても参考になりました。

ありがとうございました。

数学ガール続編楽しみにしてます)

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本を書いて生活しています。著書は『数学ガール』『プログラマの数学』『数学文章作法』『暗号技術入門』など多数。詳しい活動内容は https://mm.hyuki.net/n/n5f00c9cd281c をご覧ください。2014年度の日本数学会出版賞を受賞しました。