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大きなビジョンを描けなくても(仕事の心がけ)

先日、ネットの某所で「自分のやりたいこと」を挙げるというのがブームになったことがありました。

そのときに結城も「自分のやりたいこと」を書こうと思ったのですが、そこでふと考え込んでしまいました。

改めて考えてみると、自分は長期的な展望や大きなビジョンを描くことがほとんどなかったからです。せいぜい「今年はこんな本を書こう」くらいしか頭に浮かびません。他の人はいろいろ「自分のやりたいこと」を書いていたのに。

結城は、行き当たりばったりというか、成り行き任せというか、人生の各時点で「面白そうなことをやろう」という感覚で生きてきたようです。改めてそう書くと何だかいいかげんな話に聞こえますけれどね。

「実はわたしは、こんなことを考えて生きてきたんだ」なんて理屈を後付けすることもできますけれど(そして実際にときどきやっちゃうこともありますけれど)、正直言って、前もって長期展望を考えたことはないかもしれません。

面白そうなことなら、やってみる。うまくいきそうなことなら、もっと深くやってみる。その過程の中で何かが生まれたら、みんなに見せる。……と、その繰り返しで人生が回ってきたように思います。もちろんそれは、多くの人のご寛恕あってのことですけれど。

あわてて言い訳をしておきますが「行き当たりばったり」ではあっても、どんな仕事も一生懸命やろうとしてきたのは確かです。その結果、自分のやってきた仕事を振り返ると「ああ、わたしはこういうのが好きなんだな」や「そうか、わたしはこういう考え方をする人間なんだな」という学びがあります。

それはつまり「仕事」を通じて「自分」を知るということです。

自分の姿というものは自分ではなかなか見えません。でも手鏡が一つあれば、ちらっと自分の姿を写すことができるでしょう。「仕事」というのは、自分の姿を写す手鏡のようなものです。自分が行ってきた一連の仕事を眺めることで、自分の姿を見ることができるのです。

仕事を通して見る自分の姿は、想像していた自分の姿とずいぶん違います。こんな仕事のはずじゃなかったのにという違和感は「想像していた自分」と「実際の自分」とのズレから生まれるものなのかもしれません。

未来を見通して、大きなビジョンを掲げる人がいます。大所高所から世界を論じ、社会のあり方に強い問題意識を持つ人がいます。それに比べると、大きなビジョンを持たない自分を恥ずかしく思うこともあります。

そんなとき私は、自分に対してこんなふうに言い聞かせるのが多いです。

ただ毎日を過ごすだけでも、日々の仕事を淡々と進めるだけでも、なかなか大したものだよ。

どんな人間にとっても、今日という日は初体験。

自分に与えられた今日という日を大切にして、次の一歩をていねいに進めたいものですね。

いつも喜び、たえず祈り、すべてに感謝して、毎日を過ごしましょう!

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結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2017年2月21日 Vol.256 より

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