運命は初めから決まっているか(人生を歩む)
質問
こんにちは結城さん。
結城さんは、「運命は初めから決まっていて自分はそれをたどるもの」(運命を変えようとするのもまた、初めから決まっていたことの一つ)だと思われますか。それとも「運命は本当に今の自分が自分で作るもの」だと思われますか。
回答
ご質問ありがとうございます。
「運命」という大きなものに正解を出せようはずがありませんが、私の思うところを少し書きます。
運命は初めから決まっているもの(1)か、それとも自分が作るもの(2)か。通常は「運命」というと(1)の意味を指すと思いますが、質問の主旨を想像すると、(2)は運命を自分で作り替えることもできるという選択肢なのだろうと理解しました。
私の考えを短く答えると、(1)と(2)のいずれなのか、その答えは知り得ないものです。ですから、(1)と(2)のどちらであるかを問う意味は少ないと思います。(1)と(2)のいずれであっても、もしくはまったく別の(3)であっても、「自分の行動」に影響はないからです。
「運命は初めから決まっている。自分が何かを変えようとしてもそこまでも運命で決まっている」という主張は、しばしば「……だから、何を自分がやろうとしても無益だ」という結論に陥りがちです。そして、しばしば言い訳のセリフになったり、あきらめるための理由に使われます(それが悪いといってるわけではありません)。
自分の将来がどうなるか、自分の運命がどうなるかを前もって知り得たならば意味はあります。でも知り得ないのですから、運命を変えられるか変えられまいが、自分の行動に影響はないと私は思います。
「運命はすべて変えられない」としたら、どうするんでしょう。「運命はすべて変えられる」としたら、どうするんでしょう。何かをやろうとしたらできるかもしれないし、できないかもしれない。でも何かをやらないならできない。それだけです。
物語やドラマで話を盛り上げたり、人生について思いを馳せるという意味ではいいですけれど、私の人生にとっては「運命は変えられるか変えられないか」というのはあまり重要な違いを生まない問いです。
そもそも、ある人がどんな人生を生きるかはそのような「運命」というひとくくりにできるんでしょうか。ある人には運命があり、別の人には別の法則があるのでも原理的には問題ありません。
「運命はすべて変えられない」と安易に考えると、やる気や生きる力を失う危険性があります。また「運命はすべて変えられる」と安易に考えると、自分の力ですべてを切り拓こうと傲慢になる危険性があります。
ところで、結城はクリスチャンですので、聖書の神さまを信じています。自分の人生がどうなるかを私は知りません。しかし、私は神さまが私を愛していると信じていますので、私にとって最善の道を神さまが備えてくださっていると確信しています。
また、私は、人生の中に「自分の力ではどうにもならないこと」が存在することを知っています。私はそんなものにぶつかったとき「自分の力で変える」のではなく、「神さまに委ねよう」とします。それは、運命に膝を屈する行為でもなく、運命に抗う行為でもありません。運命というわからないものに振り回されるのではなく、神さまという人格を持った方に信頼を置くという生き方です。
そして、神さまにしっかりと自分を委ねることができたとき。そのときに初めて、いま、ここにいる自分にできること、他ならぬ自分がなすべきことがわかるのです。
私は、そんなふうに思っています。
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