
「核になるもの」を見つける(仕事の心がけ)
自分の活動で「核になるもの」を見つける話をしましょう。
結城は『数学ガール』をはじめとする本を書くのが仕事なので、自分の本に関する話をします。でも、きっと、あなたご自身の「核になるもの」を考えるきっかけになると思います。
「伝えること」は核になる
「本を書く」とは、読者に何かを伝えることです。本にとって「核になるもの」は、読者に伝えるその「何か」のことです。
結城はその「何か」を、《読者に伝えるたったひとつのこと》と表現することがよくあります。その「たったひとつのこと」を見つけなければ、そしてうまく伝えることができなければ、本を書く意味の多くは失われてしまいます。
「伝え方」も核になるかも
「伝えたいこと」以外にも「核になるもの」はあります。それは「伝え方」です。
あなたは、こんな本を読んだ経験はありませんか。
この物語は、設定がぐちゃぐちゃで、あちこち矛盾している。でも、なぜか引き込まれて一気に最後まで読んでしまった。
この解説には、有益な情報は書かれていないし、実際に役に立つわけでもない。それなのに、なぜか語り口がおもしろくて繰り返し読んでしまう。
そんな本を読んだ経験はないでしょうか。
そのような本は、情報としての「伝えたいこと」よりも、「伝え方」の方に重きが置かれているのかもしれません。
「伝え方」がすぐれている本には魅力があります。それもまた「核になるもの」といえるでしょう。
コアコンピタンスとは
力のある企業、魅力のある企業、生き残る企業について「コアコンピタンス」という概念が語られることがよくあります。
コアコンピタンスとは、その企業を他社に比べて抜きん出た存在にしている要素、その企業が他社を圧倒している技術や能力のことです。
コアコンピタンスという言葉のうち、コア(core)は「中心にある核」で、コンピタンス(competence)は「力量・能力」を意味しています。これは文字通り「核になるもの」ですね。
コアコンピタンスがなければ、企業が抜きん出た存在になることは難しいでしょう(定義上、そうなりますね)。
また、自分が関係している企業の「コアコンピタンスは何か」を考えておくことは有益でしょう。
『数学ガール』のコアコンピタンス
結城は個人で仕事をしているので、「核になるもの」や「コアコンピタンス」をいつも考えています。
自分が書く本の「核になるもの」は何か。その本の「コアコンピタンス」は何か。
たとえば『数学ガール』という本を考えます。この本はしばしば、
難しい数学を物語形式で読めるようにした本
と呼ばれます。
確かにそれは魅力だし、重要なポイントではあります。私自身も当初はこれが大事だと思っていました。でもこれは「核になるもの」なのでしょうか。
もしもこれが「核になるもの」あるいは「コアコンピタンス」だとしたら、難しい数学を物語形式にすれば、どんな本でも同じ魅力を出せるのでしょうか。
コアコンピタンスの深掘り
読者さんからの反応を見ているうちに、もう少し深く考え始めました。そのうちに『数学ガール』の魅力として、
数学を通して「考える」「教える」「学ぶ」を知る本
という要素も浮かび上がってきました。
これらの要素が浮かび上がってきたのは、読者さんから結城に送られてくる感想メールやツイートからです。読者さんが語ってくださる魅力に耳を傾けているうちに、「核になるもの」が何であるかわかってきたのです。
数学そのものを学ぶだけではなく、考えること、教えること、学ぶことを学ぶ。そのような「核になるもの」が見えてきたのです。
コアコンピタンスのさらなる深掘り
ところでこれが本当の「核になるもの」あるいは「コアコンピタンス」なのでしょうか。
もう少し深掘りして考えてみます。すると『数学ガール』の魅力として、さらに、
数学を題材に対話をしている登場人物と一緒に、読者が「考える」「教える」「学ぶ」を体験する本
という要素が見つかります。
ここまで考えてくると、物語という形式をとる意味が見えてきます。物語という形式を取るのは、「難しいものを読みやすくするため」だけではありません。「知識を体験へ昇華させるため」ではないでしょうか。
このように「核になるもの」を求めて深掘りしていくことは大事です。なぜなら、シリーズの続きを書くときに、その「核になるもの」を壊さないようにするという方針が立ち、「コアコンピタンス」を生かすための方向性を見つけられるからです。
「核になるもの」を見つけることに終わりはなさそうです。もっと深掘りすれば『数学ガール』の新たな魅力が見つかるでしょう。しかもそれは抽象化され、凝縮された魅力です。
作品の「核になるもの」と自分自身の「核になるもの」
ここで、気付くことがあります。
自分が作る《作品》の「核になるもの」を追っていくなら、それはとりもなおさず《自分自身》の「核になるもの」に迫っているということ。
私が本を書くとき、書き始めから「コアコンピタンス」を意識しているわけではありません。私はもっと漠然と、
・自分は、こういう本に魅力を感じる
・自分は、こんな本を読んでみたい
・自分は、これにぐっとくる
という感覚で書くことをスタートします。
泥臭い執筆と推敲が終わった後、「さて」と改めて自著を見直してみる。そうすると、その本には自分自身の価値観が刻印されているのでしょう。
具体化され、具現化された自分の本。その本の「核になるもの」を探していくと、私は自分自身の「核になるもの」を見つけることになるのでしょうね。
こだわりすぎる危険性
「核になるもの」や「コアコンピタンス」について思うことを書きました。これらは確かに重要です。仕事を進める上でも、自分がどんな存在であるかを確かめる上でも。
その一方で「核になるもの」にこだわりすぎる危険性にも気付きます。この作品はこういうものだ、私というのはこういう存在だ、だからこっちの方向に進もう……と考えすぎると、発想が固定化される危険性があります。袋小路に入り込む危険性、イノベーションのジレンマに陥る危険性です。深くなるのはいいけれど、狭くなるのは困る。
でも、それはまた別の話。別のときに考えることにしましょう。
考えてみてください
・あなたが関わる仕事や勉強で「核になるもの」は何ですか。
・活動におけるあなたの「コアコンピタンス」は何ですか。
・それを一言で表すことはできますか。
・もっと「深掘り」することはできますか。
・他の人は、あなたの「コアコンピタンス」を何だと思っているでしょう。
ぜひ、考えてみてくださいね。
結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2017年4月25日 Vol.265 より
結城浩はメールマガジンを毎週発行しています。
#結城浩 #仕事の心がけ #仕事 #コアコンピタンス #核になるもの #競争力