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父にとっての魚釣り、私にとっての物語書き(人生を歩む)

父にとっての魚釣り

ふと、父のことを思い出します。

父には、自分の将来がよくわからなくなってしまい、悩んでいた時期がありました。教師として中学校に就職したころです。

「自分の将来がよくわからなくなった」というよりも、家庭の事情があって「自分の想定していた進路に進めなかった」という方がより正確かもしれません。就職はしたけれど、失意のうちにあったと言えるでしょうか。

「私の父」と表現しましたが、父が就職したてのころというのは、純粋に年齢で計算すると「現在の私の、半分の年齢」になります。年下の父のようすを想像するのは、変なものですね。

失意のうちに勤め始めた父は、休みになると近くの川に魚釣りによく行っていたそうです。詳しいことは私も知りません。でも、きっと、川面に釣り糸を垂らしながら、ごちゃごちゃする気持ちをなだめ、イライラした心の落ち着き先を探していたんじゃないかと想像しています。

私は、その魚釣りのエピソードを、父本人からではなく母から聞きました。おそらく、「あなたのお父さんにも、こんな時期があったのよ」というニュアンスの話だったと思います。

理科の教師であり、電子工作とアマチュア無線が趣味の父には、あまり「魚釣り」のイメージはありませんでしたから、母の話を聞いた当時は「あまり父っぽくないな」と思っていました。でも、いまにしてみると、「魚釣り」をしている父の姿が(直接見たこともないのに)、なぜかありありと心に思い浮かべることができます。

私自身にも、いろいろとつらい時期があり、うまく行ったり、それほどはうまく行かなかったりしつつも、何とか現在まで至ることができています(感謝)。

そして、自分がつらい時期のとき、我知らず、「魚釣り」をしている父の姿は、私にとっても支えになったように思います。それは、きっと、父のエピソードによって、「私はひとりぼっちではないのだ」と感じられたからでしょうか。

私にとっての物語書き

自分でもどうしたらいいかよくわからないとき。そんなときの対処法の一つとして、私には「物語を書く」という方法がありました。

とても短い物語でいいから、心に浮かんでくる物語をとにかく文章にして書く。そのような対処法です。

悩みごとに対処するための物語を書くわけではないので、「対処法」などとおおげさにいうのは不正確でしょうか。でも、まあ、ともかく。

何となく「ごしゃごしゃした気持ち」で心が落ち着かないとき。そんなときには、コンピュータに向かって何か物語を書きます。道徳的である必要はないし、前向きな文章にしなくてもいい、無理にハッピーエンドにしなくてもいい。ただ、すべての制限を取っ払って、すべての思惑を取っ払って、とにかく「書きたい物語」を書くのです。あるいは「読みたい物語」を書くのです。

とにかくまずは、ざくざくと最後まで書き切る。そしてその後、ちまちまと直していく。何度も読み返して「ここはこの方がいいかな」のように言葉を入れ替え、文章を整える。疲れたら休む。休んだらまた言葉に向かう。そうやって、物語を書いていくのです。

これまでの時代、そんなふうにしてできたお話を、私はWebで公開しています。すべてが悩んでいた時期のものではありませんし、あまりひどい出来のものは公開してません。悩みの内容そのものを忘れてしまったものがほとんどですが、そのときに書いた「心の物語」は残っています。

いま、それを読み返すと「なるほど」と思ったり、「なんだこれ」と思ったりします。悩みはもう忘れてしまいましたが、でも、これらの物語は、私のその時期に必要なものだったのかもしれないな。そんなふうに考えることがよくあります。大仰な言い方をするならば、その「心の物語」を書く行為は、その時期の私を支えてくれたのです。

私にとって「物語を書く」という行為は、父にとって「川に釣り糸を垂らす」という行為に相当していたのでしょうね。私たちが過ごしているこの世というのは、どうしてこんなにも複雑に入り組んでしまうのでしょう。ささやかな生活をキープするだけでも、どうしてこんなにややこしいことがいろいろ起きるのでしょう。そんなふうに感じたことはありませんか。

ことさらに言い立てるわけではありませんが、父にとっての魚釣りや、私にとっての物語書きに相当する行為は、この世を生きていくどんな人にも、どこかの時期で必要になるんじゃないだろうか。そんなことを思います。

 * * *

以上、「父にとっての魚釣り、私にとっての物語書き」というお話でした。そういえば、父のこのエピソードは『数学ガール/ポアンカレ予想』にも影響を与えていますね。具体的な内容はずいぶん違いますけれど。

「心の物語」はこちらにあります。

結城浩のメールマガジン 2017年2月7日 Vol.254 より

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