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断片は作品ではない(本を書く心がけ)

結城は仕事のメモを保存するためにEvernoteを使っています。自分が思いついたことを書いておいたり、参考書のスナップショットを取ったり、Webサイトのクリッピングを行ったり。Evernoteには数万個のノートがあります。

自分のEvernoteの中には「新しい本のアイディア」というノートブックがあります。そこをのぞくと、おもしろい本になりそうな設定やアイディアがぎっしり見つかります。何しろ、結城自身が長年集めてきたものですから、自分で読んで興味を引くものばかりです。

「うわ、これはおもしろいぞ」「うん、これは絶対いい本になる」なんてことを思いながらノートをブラウズしていきます。でも、そんなノートのブラウズをしばらく続けていると「本を書くには、これだけじゃだめだ」と気付きます。設定やアイディアという「断片」だけではだめ。

「断片」は「作品」ではないからです。

 * * *

ふと、十数年前の『ミルカさん』の一シーンを思い出します。

この小さな一シーンは、私にとっては一つの作品です。「僕」とミルカさんという二人の登場人物が出てきて、数学的な概念を題材にして、小さな対話を行う。その出来不出来はさておき、私にとっては一つの作品といえるものです。そして、この小さな作品が、大きく実を結んで『数学ガール』という本になりました。

私はこの「一シーン」を描きたくて描きました。私の中にはこの「一シーン」は(設定やアイディア抜きで)存在しており、それをどのように文章として表現するかに心を砕きました。「僕」とミルカさんは私の中で存在していましたし、何を考えているかもよくわかっていました。

私の経験を思い出すと、作品を作り上げるためには、設定やアイディアよりも大事なものがあります。それは『ミルカさん』のような「一シーン」であり、そのシーンを構成している人たちです。「それが設定やアイディアじゃないの?」と言われるかもしれませんけれど。

設定やアイディアのような「断片」があるだけでは、「作品」が生まれてこないように思います。いくら短くてもいいから、「一シーン」でかまわないから、登場人物がきちんと動いている文章が必要なのではないでしょうか。それは設定やアイディアがあることとはずいぶん違います。設定やアイディアだけでは、登場人物はまだ動いていないからです。

いま書いているこのお話、結城の中でもまだうまく整理されていないことなので、わかりにくいかもしれませんね。

本を書くためにEvernoteにメモを残していくのは大事なことです。どんな「断片」であっても、意外な場面で「作品」を書くときに役立つものです。でも「断片」を集めただけでは「作品」にはなりません。それが、結城の考えていることです。「断片」は「作品」ではないのです。せめて「一シーン」を文章として書いてみないと、「作品」への足掛かりにはならないのじゃないか。そんなことを思っています。

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では「断片」と「一シーン」では何が違うのでしょう。

作家の森博嗣さんがどこかで「作品を書くときには、空気感が大事」というようなことを書いていた記憶があります。僭越ながら「確かにそうかも」と思います。

「一シーン」を文章として描くためには、その空気感を心決めする必要があります。自分のつたない語彙や文章力を駆使して、描きたいものをとにかく書き留める必要があります。もしも自分がその世界に入ったなら何を感じるか。それを何とか文章にとらえないといけません。

そうなんですよ、きっと。「一シーン」を書くことができるくらい、描こうとしているその世界のことを、わかっていなくちゃいけないんですよ。世界がわかっていなくても「断片」は生まれる。でも、大きな「作品」までは育ってくれません。

もちろん、文章を書き進めて初めてわかることも多いですから、自分がこれから書こうとしている「作品」の、そのすべてを理解しなければだめというのではありません。でも、最初の一歩は必要。歩き進めるための一歩が必要。それが「一シーン」を書いてみることなんじゃないでしょうか。

 * * *

そんな話を妻にしたところ、彼女は「『ナルニア国物語』のC.S.ルイスは、「ライオンと魔女」を書いたとき、「雪の中をフォーンのタムナスさんが歩く一シーン」を最初に思い描いてたそうよ」という話をしてくれました。私は、妻のこの一言に我が意を得たりと思いました。やはり、そうなんだ。思い描いていた「一シーン」から大きな物語が始まるものなんだ!

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正確には思い出せないのですが、ある男性の漫画家さんが「この作品を完成させるときに、どうしても描きたい一シーンがあって、そのシーンのことをずっと思いながら描いていた」というエピソードがあったのを思い出します。

それからまた、ある女性の漫画家さんがアシスタントに対して、「私がこの作品を描いてきたのは、この号のこのシーンを描きたいからなの!」と檄を飛ばしたというエピソードも思い出しました。

 * * *

今回の「本を書く心がけ」では、

  • 「断片」は「作品」ではない。

  • 「作品」を生む最初の段階で「一シーン」を描くことが大事。

という話をしてきました。

私自身が学びの渦中にある段階ですから、まとまりのない話でごめんなさい。

あなたの何かのお役に立てばいいのですが。

結城浩のメールマガジン 2016年12月6日 Vol.245 より


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