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人生の目標は何か/数学を理解するとは/難しい問題にチャレンジできない/大学名か学ぶ内容か/

結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2019年1月1日 Vol.353

はじめに

結城浩です。

あけましておめでとうございます!

いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

* * *

今年の目標の話。

新年といえば「今年の目標」ですが、ふと思うことがあります。

「そもそも、2018年の1月に掲げた目標って何だっけ……」

すっかり忘れていますので、一年前の結城メルマガを引っ張り出してみます。

(ごそごそ)

2018年1月2日のVol.301が2018年最初の結城メルマガでしたが、読んでみると「今年の目標」など掲げてないのです(!)。それは覚えていないわけですよね……

2019年も特に「目標」というのはありません。継続的にいまの仕事を続けていく予定です。

・毎週「結城メルマガ」を配信する。
・毎週Web連載「数学ガールの秘密ノート」を配信する。
・『数学文章作法 執筆編』を刊行したい。
・『数学ガールの秘密ノート』を二冊刊行したい。


というのが現在のところ見えている2019年のお仕事ですね。さて、どうなるでしょうか。

「継続」といえば、結城は2015年(4年前)の1月にこんな写真をInstagramで公開していました。

◆結城浩の一週間(画像)

◆結城浩の一週間(Instagram)
https://www.instagram.com/p/yRco9wDSh1/

この一週間の流れは現在とまったく変わりません。結城は四年間、変化のない一週間を過ごしてきたのですねえ(しみじみ)。

あなたの「今年の目標」は何でしょうか。昨年の目標は何でしたか。あなたの目標は数年前から何か変化があったでしょうか。

* * *

コミックの話。

お正月休みなので、楽しいコミックの紹介をしましょう。

『映画大好きポンポさん』というのは「作品を作る」ことに関心がある人ならば特に楽しめるコミックです。映画がとても好きだけど地味でさえないアシスタント「ジーンくん」が、映画監督の「ポンポさん」からある日「監督をやりなさい」と命じられる……というハリウッドならぬニャリウッドでの映画製作をめぐるストーリーです。

とにかくテンポがよくてスピーディ、そして「作品を作る」というのがこういう世界だったらいいな……と思わせる場面が各所にあり、楽しめます。

◆『映画大好きポンポさん』(杉谷 庄吾【人間プラモ】)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B074NSW7TS/hyuki-22/

◆『映画大好きポンポさん2』(杉谷 庄吾【人間プラモ】)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B07H7YNV5F/hyuki-22/

* * *

アニメの話。

お正月休みなので、楽しいアニメの紹介をしましょう。

SSSS.GRIDMAN(グリッドマン)というアニメが話題になっています。すでに完結しており、アマゾンプライムビデオで全話視聴できますので、ぜひごらんください。私はたいへんおもしろく、どきどきしながら見ました。

すでにネットでは話題が流れていますし、あらすじやネタバレや考察サイトもありますが、可能なら予備知識なしで順番に視聴するのがお勧めです。

少年が変身するウルトラマンのようなヒーローが怪獣と戦う。そして美少女も出てくる学園もの……というと、ありがちなアニメのようになってしまいますが、SSSS.GRIDMANはアニメの定型を踏まえつつも、それを越えた新しさがふんだんに盛り込まれた物語だと思いました。

日常が持つ軽さと現実が持つ重さが隣り合わせになっていること、それから日常生活と異世界が隣り合わせになっていることが巧妙に描かれており、隅々まで考えつくされている物語です。軽さと重さの同居、日常と異世界の同居というのは物語としてはめずらしくありませんが、SSSS.GRIDMANではそれらが自然で絶妙なバランスの上にあるのです。

オープニングの曲に出てくる「これは訓練でもリハーサルでもない」という歌詞もいいですね。物語が進むに連れて、この歌詞の意味もまた深みを増してきます。

◆SSSS.GRIDMAN
https://amzn.to/2zXraAw

* * *

そんなところで、今回の結城メルマガを始めましょう。

どうぞごゆっくりお読みください。

目次

・難しい問題にチャレンジするときの心構え
・大学名よりも学ぶ内容が大事ではないか - 学ぶときの心がけ
・数学的思考は結局は慣れか
・数学で「理解した」と感じるとき - 学ぶときの心がけ
・人生の目標は何ですか
・自分のために生きてはいけないのか


難しい問題にチャレンジするときの心構え

質問

勉強をしていてちょっと難解なところや分からないところがあると、いやだな、面倒だ、自分にはむずかしい、自分はだめだ…とすぐに考えてしまいます。

いま学んでいるものがおもしろい、楽しいとイキイキ話す人を本当に羨ましく思っています。私もそうなりたいです。

勉強以外でも同じで、自分の力量より難しそうな物事に挑戦するのに及び腰になってしまっています。

難しい問題にチャレンジするときの心構えを教えていただきたいです。

回答

ご質問ありがとうございます。

あなたは、いろんなことが見えているようです。そもそも「難しい問題」というのは「自分にできないかもしれないからつい及び腰になりかねない問題」なんですよ。だから、難しい問題に直面して及び腰になるというのは当然のことです。

あなたが「うらやましい」と思っている方と、あなたの差はほとんどありません。ほんの一歩くらいしか違わないように感じます。その違いは「感情と行動の分離」にあります。

難しくて嫌だな、とは誰でも思うのです。めんどくさいな、解けないな、できないな、嫌だな、と誰でも感じます。大事なのはそこから次の一歩。そこに分岐点があります。

 嫌だな → 自分はダメだな

 嫌だな → でもやってみるか

この違いだけ。本当にこの違いだけなんです!

人により、パターンはいろいろです。いままであまり成功体験が少なかったり、他人から認められた経験が少ないと「ああ、やっぱり自分はダメなんだ」と感じがちです。でも「自分はダメだな」と思った瞬間、自分の意識は「解くべき問題」から「自分自身」にスッと移ることになります。わかりますか。

そして、ただでさえ難しい問題に向かっているのに、解くべき問題から目をそらしていたら、解決から余計に遠ざかります。

自分のダメだった経験や、失敗体験を振り返り、自分がいかにダメであるかの証拠固めをしていては、問題は解けません。

「自分はダメだな」と進みたくなる誘惑は「だから解けなくても仕方がないのだ」という安心感を求める気持ちでもあります。

おっと、あわてて補足しておきますが、もしもあなたが心を病んでいる場合には無理してはいけませんよ。私は、あなたが弱気だけど健康であるという前提でこの文章を書いています。

あなたの質問文に「いやだな、面倒だ、自分にはむずかしい、自分はだめだ」とありました。ここに、問題から自分自身に意識が移っている様子がはっきりと描かれていますよね。

あなたが憧れている人のことをよく見てみてください。その人は「自分ってスゲーだろ」のように自分自身について語る人ではなく、「これはおもしろい!」のように、自分が夢中になっているものについて語る人ではないでしょうか。

対象に集中せよ。

これが一つのアドバイスです。「対象に集中せよ」を別の言い方でいうなら「自分を忘れよ」です。

自分を忘れると、何が起こりますか。自分を忘れると、気分が楽になります。

できることはできること。できないことはできないこと。ただ、それだけのことです。

自分という存在はここまではできるはず!や、やっぱり自分にはこれは無理だあ!というのから離れ、淡々と進もう。

「自分の力量」が先にあるのではありません。問題や課題が先にある。やってみよう! やってみたら、できた。やってみたが、できなかった。その集合体が、自分の力量なのです。「自分はダメだ」でなく「やってみよう」と考えるのです。

気負いはいりません。やってみるだけです。力量は結果に過ぎません。うまく行かなかったらもう一度。もう一度。もう一度。何度やってもうまく行かなかったら別の角度からやりましょう。

自信がある人が有利な点は、自分の心のメンテに奪われるエネルギーが少なくて済むというところです。でも、自分の心のメンテがゼロの人はいません。

自信がない人が不利な点は、自分の心をなだめたり、自分ができなくても構わない理由をいつのまにか探してしまうところ。自分の心のメンテがたいへんなために、問題に向かうエネルギーが目減りしているのです。

そこから逃れるいい方法は「対象に集中せよ」というスローガンです。自分を忘れ、対象に集中せよ。問題に、課題に、なすべきことに、目の前の相手に集中せよ。

ところで、このような話をすると「ああ、自分は対象に集中できず『自分はダメだ』と考えてしまう」という人がいます。いわば「自分は『自分はダメだ』と考えてしまうからダメだ」という思考ですね。私もこの「ダメダメ音頭」を踊り始めることがあります。そういうときには、ダメダメ音頭を踊り始めた自分を笑い飛ばして、改めて対象に向かいます

以上です。がんばってね!

大学名よりも学ぶ内容が大事ではないか - 学ぶときの心がけ

質問

どこの大学に入るか・入ったかよりも、大学で何を学ぶか・学んだかの方が大事だと思います。結城先生はご自身の体験に即してどう思いますか。

回答

ご質問ありがとうございます。

基本的には、あなたのおっしゃる通りだと思います。どこの大学に入ったかよりも、そこで何を学んだかが大事ですね。

でも、この問いの立て方にはやや引っかかりを感じます。というのは、その比較はそもそも妥当なのだろうかと首をひねりたくなるからです。

第一志望の大学に入れずに第二志望の大学に行った人に対して「どこに行くかではなく何を学ぶかが大事だ」と伝えることはまったく正しいことです。また、第一志望の大学に入ったものの、そこで何も学ばないというのは困ります。

しかしながら、第一志望の大学に入るために努力したことは無意味ではありませんよね。学習を進め、努力を重ね、必要なだけの点数を勝ち得たからその大学に入ったわけです。「何を学ぶか」だけではなく「その場所までたどり着いた事実」をきちんと認めて喜ぶのも、無駄なことではありません。

私はそんなふうに思うので、「どの大学かよりも何を学ぶかが大事だ」という問いにやや引っかかりを感じたのです。

私の体験でいうならば、まず「大学で学んだこと」というのは曖昧な表現だと感じます。というのは「大学で学んだこと」というのは大きく二つの意味を含んでいるからです。

「大学で学んだこと」の一つの意味は「(1)教育機関としての大学が提供している教育サービスを通して学んだこと」です。大学の教授陣がいて、授業があって、図書館や研究施設があって……という部分ですね。

「大学で学んだこと」のもう一つの意味は「(2)大学で過ごした期間に、自分が自主的に読んだ本や、友人と共に体験した無数のできごとを通して学んだこと」です。大学が直接的に提供したものではなく、その期間に、その場に集ったことによって間接的に醸し出された学びがあります。それは「何を学んだか」の方に属する内容ともいえますが、その大学だから集えた仲間という側面もあるので、それほど単純な話ではなさそうですよ。

自分の体験でいうなら(1)もさることながら(2)の方がずっと大きかったかもしれません。

あれこれ考えてみたのですが「どこの大学に入ったか」と「大学で何を学んだか」とは簡単に分けることは難しいかもしれませんね。ただし「どこの大学に入ったか」だけを振り回して「そこで何を学んだか」を無視するような行為は問題でしょうけれど。

ともあれ、若い人には、その場所、その期間、そこで出会う人たちの「すべて」からたっぷりと学んでほしいと願っています。

ご質問ありがとうございました。

数学的思考は結局は慣れか

質問

数学的思考って結局は慣れなんでしょうか。

数学の証明とかガバガバで減点が多いです。

回答

ご質問ありがとうございます。

「結局は慣れ」という表現には「理屈はさておき、そういうものだと認めて繰り返せばいいのだ」というニュアンスを感じますが、それは違います。

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