よい書き手は読者から学ぶ(文章を書く心がけ)
※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです。
こんにちは、結城浩です。
「文章を書く心がけ」のコーナーでは、文章を書くときに心がけたほうがよいことをピックアップしてご紹介します。
今日は「よい書き手は読者から学ぶ」ということをお話ししましょう。
結城が本やWebで書いている文章は「芸術的な文章」というよりは、「説明的な文章」が多いと思っています。「芸術的」と「説明的」という分け方はいささか変な気もしますが、まあ便宜的にこう分けてみます。
「説明的な文章」を書くためには、何か説明する対象が必要です。たとえば書籍『数学ガール』だったら、数学の定理、数学の用語、あるいは数学の考え方…そのような対象があって、それをわかりやすく読者さんに説明することになります。
結城の書いた文章を読者さんが読んで、
「ああ、なるほど。そういうことなんだね。よくわかったよ」
と言ってもらうことが目標といってもいいでしょう。それがすべてとはいいませんけれど、重要な目標の一つです。目標でもあり「書き手としての結城」と、「読み手としての読者さん」の間の基本的な関係でもあります。
・書き手がわかりやすい説明文を書く
・読み手はその説明文を読んで理解する
これが、基本です。
わかりやすい説明文を書くためには、書き手である結城は、その説明したい対象をまずは「学ぶ」必要があります。これは、当然のことですよね。
自分がまったく知らないこと、わからないこと、あいまいに理解していることをわかりやすく説明することは不可能です。
だから、きちんと学んで、書き手自身が、
「ああ、なるほど。そういうことなんだね。よくわかったよ」
と言う必要があります。
これはいわば文章を書く上での「必要条件」です。わかりやすい説明文を書くためには、書き手である自分がよく学び、よく理解することが必要条件になるのです。
ではこれを「十分条件」にするはどうすればいいでしょう。十分条件に「する」と言い切るのは難しいので、せめて十分条件に「近づける」ためにはどうすればいいでしょうか。
自分が対象を学び、理解しただけでは足りません。今度は、自分が理解した内容を、文章として「表現」する必要があります。
自分が理解したことを、文章として「表現」するためには、どうすればいいのでしょうか。
自分が理解したことを、文章として「表現」するためには、当然ながら、「文章を書く」という技能を学ばなければいけません。しかし、「文章を書く」という技能に関しては、
「ああ、なるほど。そういうことなんだね。よくわかったよ」
だけでは足りない。
文章を書くというのは「技能」なのですから、自分が理解し、納得するだけではなく、自分の手でそれを「実行」できなければならない。
話が抽象的になったので、一つ例を挙げましょう。
たとえば、
「読者に誤解のないように言葉をよく選んで書きましょう」
という主張があったとしましょう。これに反対する人はいません。
「そりゃそうだね。言葉をよく選んで書かないとね」
と誰でも思います(よね?)。書かれたことを理解し、納得しているわけです。
しかし、自分が文章を書くときになって「言葉をよく選ばなくちゃ」と考えて実際に「選ぶ」ことができないとしたら? それは「理解」が「実行」に結びつかなかったわけです。でもそれができなかったら、わかりやすい説明文はできあがりません。
「文章を書く」というのは技能です。
つまり、自転車に乗ることや、生卵を割ることや、お医者さんが手術をすることに似ています。理屈はどうあれ、自分が実行できなければ意味がない。技能というのはそういうものです。
技能を学ぶには「練習」という要素が必要になります。泥臭く、自分の手を動かす必要がある。
そして「練習」あるところには必ず「失敗」がある。自分の失敗を自覚し、振り返り、
「ああ、これはまずかった。この次はこうならないようにしよう」
と考えを巡らす。そのようにしないと技能は上達しません。
もしも、まったく失敗しないなら、進歩はありません。自分ができることしかやっていないことになりますから。その一方で、同じ失敗を何度もやっているなら、それも進歩はありません。自分が失敗から学んでいないことになるからです。
技能を効果的に学ぶ人というのは、適度な失敗を行うけれど、同じ失敗を(それほどは)繰り返さない人だと思います。
自分の失敗の分量をコントロールはできないにせよ、まったく失敗していないなら、それは安全すぎる戦略を採っているといえるでしょう。
また同じ失敗ばかり繰り返しているなら、難しすぎる目標に挑戦しているか、素直に自分の失敗を振り返っていないのでしょうね。
あなたは、いかがですか。
わかりやすい説明文を書けるようになるには、たくさんの文章を書く必要があります。しかし、ただたくさんの文章を書くだけでは足りません。
自分の書いた文章がわかりやすいものになっているか、きちんと振り返る必要があります。
自分にとってはわかりやすいとしても、読者さんにとってわかりやすいものになっているのか、それを確かめる必要があります。
振り返りと自分に対するフィードバックがなければ、文章を書くという技能は上達しません。
結城は、読者さんからよくメールをいただきます。
「結城さん、おもしろかったよ!」
「すっごくわかりやすかった、ありがとうございます!」
こんなメールをいただいた日は、もう一日ニコニコです。道を歩いていても、思わず笑みがこぼれてくるほどです。文章書きにとって、こんなうれしいメールはありません。
でも、誉めてくれるメールだけがやってくるわけではありません。
読者さんの中には、文章のわかりにくいところを指摘してくださる方もいらっしゃいます。ずばりと書いてくださる方もいますし、わかりにくいという指摘は著者に悪いと思ってか、自分の理解のせいになさる方もいらっしゃいます。
「ここの例、わかりにくい」
「ここから読む気をなくした」
「自分の勉強不足のせいだとは思いますが、
ここから先はお手上げでした」
こんなメールをいただいた日は、結城はがっかり……するでしょうか。いいえ、がっかりすることはありません。結城にとって「ここがわかりにくい」という指摘は千金の値を持っています。ほんとうです。まちがいやすく、わかりにくい点、誤解したポイント、そのようなことを指摘してくださる読者さんには、これ以上ない感謝の言葉を送りたくなります。
実際、誤っている点やわかりにくい点を指摘をしてくださった読者さんには、結城はすぐに感謝のお返事をするように心がけています。100%とはいえませんけれど。
「良薬口に苦し」とはよくいったもので、厳しいことを言ってくださる読者さんほどありがたい存在はありません。
もちろん、結城が書いた文章に特段のミスがなく、読者さんの理解力が足りずにわかりにくいという場合もあります。でも、だからといってわかりにくい点を指摘してくださった読者さんへの感謝の念が薄れることはありません。
なぜなら、いただいた反応はリアルな読者さんの反応だからです。結城が書いた文章を読んでくださった読者さんが「わかりにくい」というなら、それは動かし難い事実です。そしてその事実を、貴重な時間を使って書き手に伝えてくださったことには、深く感謝すべきである、と結城は思っています。
わかりやすい文章を書くためには「学ぶ」ことが必要です。一つは、「対象となる事柄」を学ぶこと。もう一つは、「文章として表現して読者に伝える技能」を学ぶこと。この両方がなければわかりやすい文章にはならないでしょう。
前者は自分の努力がすべてです。しかし後者は読者という他者が存在します。そしてもっとも大きなフィードバックは、その読者さんからやってきます。
現代はインターネットの時代。ひとむかし前に比べて、読者さんからのフィードバックがはるかに受け取りやすくなっています。つまり、読者さんから学ぶ機会は多々あります。結城は、これを最大限に使ってしっかり学んでいこうと思っています。
インターネットというのは一つの方法に過ぎません。大事なのは、読者さんからのフィードバックをどのような態度で受け取るかという書き手自身の心の態度です。読者さんの声に、しっかり耳を傾ける姿勢がなければ、何も学ぶことはできないでしょう。
あなたがもし書き手なら…
もし書き手なら、あなたはどんな方法で、読者さんからフィードバックをもらいますか。あなたに厳しいことを言ってくださる読者さんはいますか。あなたはどんな態度で読者さんの言葉に耳を傾けていますか。
ということで、今回の文章を書く心がけは、
よい書き手は読者から学ぶ
をお伝えしました。
ぜひあなたのご感想をお聞かせくださいね。
(↑読者からのフィードバックを求めている!)
このノートは「結城メルマガ」Vol.009の内容を編集したものです。よろしければ、あなたもご購読ください。
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(Photo by Walt Stoneburner. https://www.flickr.com/photos/waltstoneburner/7946581522/)
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