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判断の重み

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結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年1月26日 Vol.200 より

これは「判断の重み」について結城が思うことをあれこれと書き連ねている文章です。

●「大学いくのやめとけよ」というアドバイスの話

結城は、大学に進学することを当然のこととして考えていた。両親とも大学進学について積極的だった。

ある日のこと。私の一人の友人から、

 「おまえほんとに大学にいくのか? やめとけよ」

と言われたことがあった。いまとなっては、もう記憶もおぼろげだけれど、その友人は「自分の経験」と称して、いかに大学進学が無意味かを語った(自分の経験といっても、当時の私と同じ高校生だったのだけれど)。大学に行ったとしても、役に立つことは学べない。大学に行っても苦労することは目に見えている。そのような、ネガティブな要素を私に語ったのだ。

私は、その友人が語る大学に対するネガティブ・キャンペーンを「へー」と聞き流していた。そもそも私はかなり鈍感で、あれがネガキャンだと気付いたのもずいぶん後になってからだった。友人は純粋に私のことを思って「大学に行くなんて無意味だ」と主張していたようだ。

友人の「やめとけよ」という言葉を私は聞き流していたから、私の進路に影響はまったくなかった。でも、いまにして思えば、これは、なかなか大きな問題をはらんでいるなあと思った。

つまり、友人の言葉に対して「確かにそうかもな」と思う可能性もありえた、という意味である。

●判断の結果は誰が受け取るのか

題材はなんでもいい。ともかく、私たちはしばしば「将来大きな影響を持つ分岐点」に立つことがある。右に行くか左に行くか。分岐点でどちらかを選ぶのは現在であるが、その選択の結果はずっと後まで続くという状況だ。

その分岐点に立ったときに、誰かの意見をどう受け止めるか。これは重大な問題である。さっきの話は大学進学するかしないかだったけれど、それに限らない。どの大学にするか、就職をどうするか、結婚をどうするか、何でもいい。家を出て一人暮らしするかどうか、学生なら進学か就職かもあるだろう。研究室を選ぶとか、あるいは勤め人ならば転職するかどうか。分岐点はそこら中にある。

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