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現代に通じるからこそ古典

結城はnote(ノート)で「古今和歌集を読む」というマガジンを更新しています。

このマガジンは、ぽつぽつと古今和歌集の現代語訳と文法解説をここ数年の趣味として書いているものです。記憶力が弱って暗記はできないけど、とても楽しいですね。

こういう書き物をしていると、中学高校時代に学校で古文を学んでいてよかったなあとつくづく思います。基本的な活用や係り結びなどを知っているだけでもかなり読めますし、古語辞典を引くときの「あたり」もつけやすい。まったく学んでいなかったら、こんなことを始めようとすら思わなかったでしょうし。

母は短歌が好きでよく作っていました。祖母は古典の世界が好きで、百人一首なら家族の誰にも負けませんでした。その影響で孫の私も何首か暗記しています。その記憶のストックも役立っています。

結城の場合、個別の歌を暗記して古典に親しむのには家庭の影響が大きかったといえます。でも、古典の文法を暗記したのは学校で授業があったからですね。中学高校の暗記が、数十年後のいま、個人的な楽しみとして役立っています。こ・き・く・くる・くれ・こよ(こ)なんて、いまから暗記できません。あの頃それなりにちゃんと学んでいた自分に感謝したいです。

ところで、古今和歌集の歌をあれこれ散策していると、現代に通じる感覚がなんと多いのだろうと驚きます(だからこその古典なのですけれど)。最近は春の歌をいくつかピックアップしていました。

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例えば、読人しらずのこんな歌があります。

春ごとに花の盛りはありなめど逢ひ見む事はいのちなりけり

「花ははかないと言われるけど、春が来るごとにしっかりと咲きます。でも人の方は?毎年咲く花を見ることができるのは人が生きているからこそ。命が尽きれば見ることはできません。花に出会うのは命しだいなのですね」という気持ち。そんな気持ちは、昔も今も変わりません。

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あるいはこんな恋の歌があります。

逢ひ見ずは恋しきこともなからまし音にぞ人を聞くべかりける

「もしもあなたに逢わなかったならば、これほど恋しく思うこともなかったでしょうに。あなたのことはただの噂としてだけ聞くべきだったのでしょうねえ」という気持ち。「噂として聞くべきだった」というけれど、もちろん「もう逢いたくない」という気持ちではありません。相手が恋しくて、恋しくて「もっと逢いたい」と歌っているのです。

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こんな恋の歌もあります。

わが恋を人知るらめやしきたへの枕のみこそ知らば知るらめ

「私の恋する気持ちをあの方は知っているでしょうか。いえいえ、知らないでしょう。私の枕だけが、知っているとしたら知っているでしょうね」という気持ち。私の枕だけが知っている、私の恋心。

人が心に抱く気持ちというものは、何百年前から変わりません。きっと何百年後も変わらないでしょう。それを描いてこその古典なのですね。

ところで、実は趣味として楽しんでいたこの世界を、『数学ガール/ポアンカレ予想』ではちょっぴり生かすことができたんですよ。あちこちに古今和歌集が顔を出しています。

結城浩のメールマガジン 2018年4月17日 Vol.316 より

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#結城浩 #古今和歌集を読む


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