古典文学のどこが好き?
質問
以前、古典文学を読んでいらっしゃるという結城先生のツイートを拝見しました。
私も詩歌(特に明治〜昭和のもの)の類を読むことが好きです。しかし、どうして詩歌を読むことが好きなのか、私はまったく分かりません。理由は分からないのに好きという、とてもモヤモヤした状況であります。
詩歌のような、言葉による芸術作品を好む理由を伺うのは野暮という意見もあると思います。しかし、結城先生が古典文学にどのような魅力を感じられていらっしゃるのか、ということについてご意見を伺いたく、質問いたしました。
結城浩のメールマガジン 2018年7月3日 Vol.327 より
回答
ご質問ありがとうございます。
結城が古典文学が好きな理由の一つは、幼いときに祖母が百人一首に親しんでいたという影響があるかもしれません。私はおばあちゃんっ子で、祖母が有職故実の話をするのを楽しく聞いていました(もうだいぶ忘れてしまいましたが)。また、私の母は短歌が好きでよく詠んでいたので、その影響も少しあるかも。
ここ数年、結城は趣味で「古今和歌集を読む」というnoteをよく書いています。特に「古今和歌集」が好きだったわけではないですが、あるときふと「そうだ、古今和歌集を読もう」と思ったのです。
結城が古典文学、特に和歌が好きな理由はいくつかありますが、その一つは「中二病」的な理由かもしれません。だって、短歌ってどこか「呪文詠唱」のように聞こえることがありますから。謎の呪文を唱えると、何か不思議なことが起こる。そんな魅力があります。
たとえば、これはどうでしょう。
君といへば見まれ見ずまれ富士の嶺の珍しげなく燃ゆるわが恋(藤原忠行)
これは恋の歌、ずっと続く恋心を歌ったものですが、その内容よりもまず「見まれ見ずまれ」という部分、そのリズムが心に残ります。「みまれみずまれ」という繰り返しの音ですね。「見まれ見ずまれ」というのは「見ても見なくても」や「(恋するあの人に)逢っても逢わなくても」という意味です。
あるいは、こんな歌はどうでしょう。
偽りのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし(読人しらず)
これも恋の歌、やや皮肉めいた斜に構えた気持ちですが、これも内容よりも前にまず「人の言の葉うれしからまし」というリズムに惹かれました。「ひとのことのはうれしからまし」と声に出したくなる、不思議なリズムです。「との」の繰り返しと「し」の繰り返しが特に重要な役目を果たしているように感じます。そして「これはいったいどんな意味なのだろう」と知りたくなります。「うれしからまし」というのは「うれしかっただろうになあ(でも実際は違う)」という気持ちを表しています。
和歌に対して「呪文詠唱」のような魅力、意味よりも前に意味ありげな音のリズムに魅力を感じる部分はありますね。
ご質問ありがとうございました!
* * *
うん、「言の葉」といえば、新海誠監督『言の葉の庭』という素敵な作品がありましたね。あそこにも古典が出てきました。そして『君の名は。』も小野小町の和歌に着想を得たのだそうですよ。
◆反実仮想と恋の歌(古今和歌集を読む)
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