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執筆作業と別世界への旅(本を書く心がけ)

本を執筆していると、いつのまにか別世界へ移っていることがあります。

別世界へ移るというのは比喩です。いわゆる「ゾーン」や「フロー」と呼ばれる状態に入り込むことです。そこには深い喜びがあります。これは、本を執筆することの喜びの一つかもしれません。プログラミングをしているときも似たような現象があります。

執筆に夢中になって別世界へ移る。この表現で興味深いのは「場所」にたとえることが自然に感じるという点です。

自分という存在が「こちらの世界」を離れる。つまり、現在いる部屋や家のような物理的な場所、さらには自分の肉体という場所を離れる。そして自分という存在が「別世界」という別の場所に移っていく。これはとても楽しい体験です。

ただし、自分が別世界に移っていることに気付くのは、そこから戻ってきたときです。そのときにはじめて自分が別世界に移っていたのだと気付くのです。これはもう何度も何度も、数え切れないほど繰り返して体験しました。

本に限りません。集中して文章やプログラムを書いているときには毎日のように、ここではない世界、別世界へ出かけていきます。そして何かの拍子にこちらの世界に戻ってきて「はっ」と気付くのです。「ああ、私はいま別世界にいたのだ」と。

もしかすると、私が本やプログラムを書く仕事をしているのは、そのあたりに理由があるのかもしれません。

集中して仕事をしている途中で電話が掛かってきたり、誰かから声を掛けられたりするのを嫌う人は多いものです。もしかするとそれは、この別世界から無理矢理に引きはがされるからかもしれませんね。

もちろん表面的には「いったん仕事が中断すると元に戻るまでに時間が掛かる」といった理由は確かにあります。でもそれ以前に、別世界から無理矢理に引きはがされるときに感じる苦痛が嫌なのかもしれないなと思います。

仕事に集中するために耳栓をしたりヘッドフォンで音楽を聴いたりする人がいます。それは別世界へ行く「旅じたく」ともいえるでしょう。あるいはまた、こちらの世界にうっかり引き戻されないために張る「結界」でしょうか。

あくまで私の場合ですが、たとえ仕事を始めるときに音楽が掛かっていたとしても、いったん別世界に移ってしまった後は何も聞こえなくなります。こちらの世界に戻ってきたときに音楽が掛かっていたことに気付くのです。音楽ですら、こちらの世界に属するものなのですね。

この文章は、散歩しながら「結城浩の作業ログ」に音声入力で書いたものをもとにしています。

結城浩のメールマガジン 2023年1月17日 Vol.564 より

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