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高校時代に出会った感動の参考書

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こんにちは、結城浩です。

「学校で学んだことは実社会で役に立つ・立たない」という話題はときどき出ますね。でも当然ながら「役に立つ」か「役に立たないか」という二値で話が済むわけではありません。どういう点がどれだけ役に立つかという程度の問題になりますし、人によって、教科によって、人生の時期によって変化するでしょう。さらにいえば、本人は意識していないけれど「役に立っている」ことも多いかも。

ふと、結城が現在行っている仕事を、学校で受けた教育と関連づけてみようと思いました。つまり「学校で学んだこと」が現在の結城に役立っているかどうか。役立っているとしたら、何のどんなところが役立っているか。

話を広げすぎてもまずいので、国語・数学・英語の三教科だけで考えます。何しろ文章を書くのが仕事ですから、国語は重要。数学に関わる文章を書いていますから、数学も重要。英語の本を読むこともよくあるので、英語も重要。と考えると国・数・英すべて重要ではありますね。主要三教科とはよく言ったものです。強いて順序を付けるなら、教科としては国>数>英の順で《必要度が高い》と思っています(結城の場合は)。

しかしながら、学校で学んだことが《お役立ち度が高い》順番は、数>英>国のように思っています。言い換えるなら、国語に関しては必要度の割に学んだことが不足しているように感じるということ。結城が受けた国語の授業では文芸作品の鑑賞の割合が高かったのですが、もっと説明文や実用文の読み書き実習に重きを置いてほしかったと思います。学校教育に不足しているのか、単に結城の理解力がなかったためかわかりませんが、特に、

 文章には、書き手の主張が含まれている
 (「表されている」か「隠されている」かはさておき)

という最重要ポイントはもっと強調してもよいのではないかなと思います。

何を言ってるか、わかりにくいかしら。

結城は高校の受験勉強で『新釈現代文』(新塔社)という、たいへん薄い現代国語の参考書を読みました。著者は成城大学教授の高田瑞穂。結城はこの本を読んで文章とは何であるかを知りました。※現在はちくま学芸文庫に収録されています。

『新釈現代文』カバー

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文章とは何であるかを知ったというのは、大げさですかね。でも、何しろ冒頭の一行がかっこいい。

 この本は、結局「たった一つのこと」を語ろうとするものです。
 (『新釈現代文』p.1)

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高校時代の結城はこの冒頭の一行に傍線を引きました。定規を使って。

あれ……と、ここまで書いて気付きました。結城は『数学文章作法』という本を書きましたが、そこには「あなたに伝えたいたった一つのこと」という表現が出てきます。これは、明らかにこの『新釈現代文』の影響を受けていますね(!)。

それはさておき、第一章に移るとこんな言葉が出てきます。

 現代文とは、何らかの意味において、現代の必要に答えた表現のことです。
 (『新釈現代文』p.4)

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この文はあたりまえに思えるかもしれませんが、高校時代の結城はほんとうに目が開かれたような思いがしました。それまで結城は、並べられた言葉に対してあれこれ考えるのが国語という教科だ、というぼんやりしたイメージしか持っていませんでした。

しかし、文章は表現であり、さらにそれは現代の必要に答えるものであると考えると、何かが急に「ぱあっ」とわかったように思いました。結城が「わかった」ことを自分なりに言い換えると、こうなります。

 文章というものは、現代の必要に答えるため、
 書き手が読み手に伝えようという意図をもって書かれている。

文章には書き手がいて、読み手がいる。書き手は何らかの意味において現代の(読者の)必要に答えようとして文章を書いた。読み手はそのことを踏まえて書き手の意図や考え、伝えようとしたことを読み取る。そして読み取るための前提として、現代のどんな必要に答えた文なのかという問題意識が共有されていると望ましい……そのような「文章を理解するための鍵」が、ざらざらざらと空から振ってきたような感じを受けました。

ああ、高校時代に結城が感じた感動がうまく表現できなくてもどかしい。

あっ、また気付いたことがあります。結城が書いた『数学ガール』(無印)の中で、主人公の「僕」が「数式はメッセージ」と語るところがあります。

 「数学の本には数式がたくさん出てくるよね。
  その数式はすべて、誰かが自分の考えを伝えるために書いたものだ。
  僕たちにメッセージを送っている書き手が、
  数式の向こう側に必ずいるんだよ」
 (『数学ガール』p.33)

この部分の背景には高校時代に『新釈現代文』に触れた感動があるような気がしますね。

さらにいうなら、結城がしょっちゅう話している《読者のことを考える》という原則にも大きな影響を与えているかも。

おっと。学校教育の話をしようと思っていたけれど、『新釈現代文』を懐かしがる文章になってしまいました。残念なのは、結城が『新釈現代文』に出会ったのは、学校教育とは関係がなかったという点です。

中学校でも高校でも、国語の授業で目を見開くような思いを味わうことはありませんでした。国語の試験の点数はそれほどよくなかったし、おもしろい教科だと思ったこともありませんでした(古文や漢文はまた別)。国語という教科は実はおもしろいのではないかと思ったのは、高校三年生でこの『新釈現代文』を読んでからです。たぶん偶然読んだ参考書で紹介されていたのでしょう。

結城はときどき読者さんから「『数学ガール』を読んで、数学とはこんなにおもしろい教科だったのかと思いました」というフィードバックを受け取ります。この読者さんが数学に対して感じた感動を、結城は国語に対してこのとき感じたのかもしれません。

ここまで書いてきて思ったのですが、結城が中学生高校生のときに考えていたことを書くのは意外におもしろいですね。上に書いたような、結城の著作と参考書とのリンクはこの文章を書きながら《発見》したことです。

大人になったいま思い返すと、現代との意外なリンクを発見します。それは必ずしも学校教育に限定したものではありませんけれど、若いときに触れたもの、出会ったものは想像よりもずっと大きく人生に影響しているのかもしれません。

 * * *
 
あなたは中学生・高校生のころ、どんな本を読んできましたか。

それは、現代のあなたにどんな影響を与えているでしょうか。

 * * *

『新釈現代文』は現在ちくま学芸文庫に収録されています。

結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2014年9月16日 Vol.129 より

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