父から学んだ「教える」ということ[Part 1](教えるときの心がけ)
結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2012年8月21日 Vol.021 より
こんにちは、結城浩です。
「教えるときの心がけ」のコーナーです。
今日は、いまは亡き父のことをお話ししようと思います。
どうして父の話が「教えるときの心がけ」になるかというと、私の父は中学校教師をしており、私は父からたくさん「教えること」を学んだように思うからです。
直接に「教えること」を学んだわけではないのですが、父の姿・父の態度を通して間接的に「教えること」について学んだのです。
以下、個別のエピソードが多くなるのはそのためです。そこには「教えること」のヒントがたくさん詰まっているのですが、むしろ簡単に要約しないほうがしっくりくるような感じがしています。
●父のこと
父は中学校の教師でした。生徒に人気のある教師で、教え方もとてもうまかったらしいですね。「らしい」と推測する表現をしているのは、結城自身は父の授業を直接受けたことが一度もないからです。
父が教えていた科目は主に理科ですが、中学と高校の数学・理科・社会・英語を教えることができたそうです。父は、授業のやり方についてよく話してくれました。私個人に話したというよりも、夕食の団らんのときに家族に対して話していたのです。
授業のやり方で、いまでも印象に残っているのが、
「生徒の中には優秀な生徒もそうでない生徒もいるけれど、
お父さんの授業はどちらの生徒もたいくつしない授業だ」
という父のセリフでした。
授業の内容が易しすぎると、優秀な生徒は退屈してしまう。その一方で授業の内容が難しすぎると、今度は優秀ではない生徒が退屈してしまう。父の授業は教室の生徒全員が退屈せずに聞ける授業だ――父はそう言っているのです。
そんな授業、どうやって実現するんだろうと子供心に私は思いました。
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