妻と二人で(日々の日記)
※結城メルマガVol.103(2014年3月18日)より
先日、妻と二人で出かける用事がありました。
実際には用事というほど大げさなことはなくてすぐに済み、昼過ぎからずっと、カフェで二人でおしゃべりをしていました。冬にしてはあたたかな日差しの午後です。
結城はフリーで仕事をしていますので、時間の融通は効く方……のはずなのですが、実際にはばたばたと〆切に追われて過ごす毎日が多いものです。
昼過ぎから午後ずっと二人でおしゃべりをするという機会は、思い返してみてもここしばらくはありませんでした。
毎日いっしょに過ごしていると、話す内容は「業務連絡」に近くなります。
「ごはんできた」「いただきます」「ごちそうさま」
「お皿洗えた?」「新聞」「お風呂」「子供帰ってきた?」……
そこでやりとりされているのは指示であったり、命令であったり、 状況把握の質問であったり、それに対する返答だったり。確かにそれらは大事なものですけれど、もう少し違うモードのやりとりがないと「心の栄養不足」になりそうです。
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そのカフェで 結城は、マガジン航に書いた「私と有料メルマガ」の内容を妻に話しました。自分は何をどう考えて、何を大切だと思って文章を書いているのか。妻はそれに対して、普段から感じている印象を結城に返します。
妻は、普段の食事についてどのように気を遣っているかを話しました。子供の成長をどう見ているか、三年前、二年前、一年前と現在で、どんなふうに変化したと思っているかを話します。結城はそれに対して、父親として思っていたことを妻に返します。
結城は、先日インタビューを受けた「千葉県高等学校教育研究会数学部会」について、妻に話しました。教師の仕事の難しさについて話すと、妻は「先生は生徒が理解しているかどうか、ダイナミックに見抜かないといけないから大変でしょうね」と感想を言いました。結城もまったくそれに同意します。
結城と妻の会話の詳細はさておき、そのような会話を続けながら、結城が感じたことがあります。それは、
「こういう会話のためには《何をするでもない時間》がたっぷり必要だ」
ということです。
* * *
普段家庭の中で家事をしながら、その合間で話すことは非常に難しい。次にやるべきことや、残り時間を気にしながら話せることには限りがある。たとえ家族旅行に出かけたとしても、あちこち見て回ることだけに集中していたら、ゆったり話すことは難しい。
少なくとも二時間、できれば半日、《何をするでもない時間》を夫婦二人で過ごすことは大事かもしれない。
何か目標や、何か伝えたい情報が最初からあって話し出すわけじゃなく、二人で《何をするでもない時間》を過ごしているうちに、
ふと、思い出したこと。
ふと、気付いたこと。
そういうことをぽつぽつと問わず語りに話すことは大事かもしれない。
先日、結城と妻が過ごした時間は図らずもそういう時間になりました。最初から計画したわけではありません。たまたま二人で、たまたまカフェで一息つく時間があり、おしゃべりを始めたらそういう時間になったというわけです。
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帰り際に妻が、
「うん、わたし、こういう時間を過ごしたかったんだと思う」
と一言いって、結城は「我が意を得たり」と思いました。
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