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頭が良い人に嫉妬してしまう

質問

頭が良い人や要領がいい人にすぐ嫉妬してしまうのが悩みです。

自分の頭が悪いということが毎日頭から離れず、人が作ったものがすべて自分より優れて見えます。

能力があれば、こんなクズみたいなものをこんなに時間をかけて作っていないのに、と考えて悲しくなります。

考えをまとめるのが苦手で、結論をいつも見失ってしまいます。

精一杯やったところでうまくいかないという無力感だけ増していき、自分の考えは理屈が通っているかを人に尋ねないと不安で仕方がありません。

どうしたら、諦めがつくでしょうか。アドバイスいただけたら幸いです。

結城浩のメールマガジン 2018年5月29日 Vol.322 より

回答

ご質問ありがとうございます。以下、もしかしたらあなたに失礼な回答になるかもしれませんが、お返事します。

「能力の争い」と「自意識の戦い」は別のもの

あなたのご質問はなかなか難しい話です。というのは「能力の争い」ではなく「自意識の戦い」をやっているように見えたからです。

能力の争い」というのは、周りの人たちを相手にして「何かができるか」「何かがうまくできるか」「どれだけ早くできるか」を争う戦いです。これは社会のあちこちにある他者との戦いですね。競争に勝てば嬉しいし負ければ悔しいというのは当然です。世界に目を向けた場合には「能力の争い」で完璧な勝者もいなければ、完璧な敗者もいません。「能力の争い」におけるランキングは時々刻々と変動します。

それに比べると「自意識の戦い」はまったく質が違うものです。自分に何かできることがあっても、できないことの方を考えてしまう。自分の苦手なこと、自分の駄目な部分、自分が弱い部分に注目してしまう。状況や環境や条件がたとえ変わったとしても、「私は駄目」という自分の結論は最初から自分で決めている。あなたのご質問を読みながら、私はそのように感じました。

この「自意識の戦い」を変えるのは人間にはとても難しいことだと思います。理屈ではないからでもあり、たとえあなたに能力がついたとしても、レベルを変えて同じことを始めそうだからです。自分ができることは過小評価し、自分ができないことは過大評価してしまうパターンに陥っていないでしょうか。

「行動や結果」と「自分自身」とのあいだに一線を引く

もう少し踏み込みますと「自分が何かをできるか否か」は「自分の本質的な価値」とは無関係だと思えるかどうかともいえます。

「自分はこれができないから価値はない」そんなことはありません。

「自分はこれができれば価値が三割増し」そんなことはありません。

「行動や結果」「自分自身」とのあいだに一線を引くことができるかどうか。

うまくできなければ悔しいし情けない。それはそうです。でもうまくできないからといって自分自身に価値がないわけではない。自分自身の価値は変わることなく大丈夫なのだ。そのように思えるかどうか。

うまくできたら嬉しいし、競争に勝ったらガッツポーズ。それはそうです。でもうまくできたからといって自分自身の価値が増したわけではない。自分自身の価値は変わることなく大丈夫なのだ。そのように思えるかどうか。

「行動や結果」と「自分自身」とのあいだに一線を引くというのはそういう意味です。

あなたの質問への答えにはなっていませんが、以上です。

なお、もしもあなたが日常生活を送るのに不自由するほどに悩んでいらっしゃるなら、心のケアをする専門家の助けを借りることをお勧めします。


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