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教師が、生徒を、あえてつまずかせてもいいだろうか?(Q&A)

※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです。

こんにちは、結城浩です。

「結城メルマガ」読者さんからの質問に答えるコーナーです。

…とはいっても、この「Q&A」のコーナーでは、結城が教師でみなさんが生徒、というわけではないですよね。このコーナーは読者のみなさんとの「対話」の場なのかもしれません。

みなさんから「質問」という形で話しかけていただき、それに対して「解答」するのではなく「回答」する。

読者さんから投げてもらったボールを結城が受け止め、こんどは結城からボールをお返しする。そんなコーナーといえるでしょう。

質問は、必ずしも読者さんからの文章そのままではありません。結城が編集したり、複数人の質問を一つにまとめたりする場合があります。ご了承ください。

●質問

結城メルマガを、ただ読み飛ばすだけではもったいないと思い、時間が取れた休日にまとめて読むことにしました。

ひとつ質問です。

説明のわかりやすさを追求することは大切だと思いますが、最終的に「生徒」にわかってもらう段階のひとつとして、生徒を、

 「あえてつまずかせる」ことはありますか?
  (クローズド・クエスチョン)

 「あえてつまずかせる」ことをどのようにお考えですか?
  (オープン・クエスチョン)

たとえば「2次方程式を解け」という問題練習を全員がスラスラ解けているとき、追加で「x^2+x+1=0」を出題するようなことです。

もちろん、複素数を知らない高校一年生を対象としてです。根号の中が負になって「あれ?」と思う「つまずき」も大切だと思いますが…

●回答

結城メルマガのご愛読ありがとうございます。また、ご質問も感謝です。

なかなか興味深い質問ですね。

現在出している課題を生徒がスラスラ解いている状態だとして、その方法ではうまく解けないような問題をわざと出して、生徒を「あえてつまずかせる」ということについてですね。

まず、結城は実際に教室で生徒を前に教えているわけではなく、書籍などを通して間接的に教えていることにご留意ください。その上での回答になりますが…

生徒(読者)に「あれ?」と思わせることはとても大切です。それがまったくないと、話が先に進まない面があります。生徒(読者)の心に、

 あれ?
 いままではAだと思っていたけれど、違うのかな?
 Aじゃなくて、実はBなのかな?

という思いが浮かぶとき、生徒の心は「学ぶ姿勢」になっています。ちょうどそのタイミングで、

 「それではもう少しきちんと話してみましょう」

と教師が持ちかけるのはいいことですよね。

 生徒の心に「あれ?」と疑問が浮かぶ
 ↓
 教師が、その疑問に対して応答する

という流れは、生徒の目を輝かせます。そして生徒は、前のめりになって話に耳を傾けます。

もっとも、生徒の心にそのような疑問を浮かばせることを「つまずかせる」と表現するのが適切かどうかはよくわかりませんが…

生徒の心に「あれ?」という疑問を浮かばせることは、うまく使えれば良い効果を生みますが、危険な点もありそうです。

たとえば、すでに生徒に伝わった「正しい認識」に「不適切な疑い」を抱かせてしまう危険があります。

どういうことかというと…

質問にあったように、いままで解の公式を使って二次方程式をうまく解いていた生徒がいたとします。根号の中が負になる問題を与えると生徒は「あれ?」と思いますよね。

その疑問によって生徒が、

 「いままでの方法ではうまく行かないことがあるんだ!
  いままでの方法は『不十分』だったんだ」

と思ってくれればとてもいいです。

でも、もしかすると、

 「いままでの方法は完全に『まちがい』なんだ。
  自分は誤解していたんだ」

と思ってしまうかもしれません。あるいは、

 「うまくいったり、うまくいかなかったり。
  だから数学って嫌いなんだよな!」

と思ってしまうのも困りますね。

つまり、こういうことです。

生徒が「あれ?」と疑問を抱いた後に「ちゃんとしたフォロー」が必要だということです。当然といえば当然のことですが。

しかしながら、これはとても難しい。多くの人は、

 「うまくできない」
 「まちがった」
 「バツがついた」

という状況に陥ると不安になるものです。

生徒の中には、まちがった瞬間にカッと頭に血が上って、まちがいを直そうとムキになる人もいるでしょう。教師の説明が耳から入らなくなってしまう生徒もいます。

心の中に、

 「まずいまずいまずいまずいまずい」

という警報が鳴り響いている状態で、教師の説明をしっかり聞くのは難しいものです。

ですから、生徒に対して、

 「あなたの理解はまちがっていたわけじゃないんだよ」

と早いうちに明言してあげる必要があるのです。生徒に教師の言葉が届いているうちに、です。

さらに、それと同時に、

 「でも、不十分なところがある。それはどこだろう?」

と別の問題に変換してやります。そのようなフォローがきちんとできるかどうかが「鍵」ですね。

フォローをきちんとするためには、前もって十分に計画した上で生徒を「つまずかせる」ことが必要になります。ふと思いついた問題で生徒を「つまずかせる」ようではうまく行きません。

もう一度いいます。アドリブで生徒をつまずかせてはいけません。かならず周到な準備が必要なのです。

特に重要なのが、時間的な余裕です。生徒を「つまずかせた」後の説明が、尻切れトンボになってはいけません。

へたをすると、いま扱っている問題だけではなく、その科目やそのテーマ全体に「いいかげんだなあ」という印象を与えてしまう危険があるからです。

数学はいいかげんな科目だ、代数はややこしい、教師のいうことはあてにならない……そんな思いを生徒が抱いては困ります。

生徒にわざと「つまずき」を与えることは、十分な計画と準備のもとで行う必要があるのです。

「ふと思いついたんだけど」という雰囲気を演出するのはかまいませんが、教師の側では前もって準備しておかなければなりません。

そういえば、この話題に関連した内容を結城メルマガのVol.004で扱っていましたね。「教えるときの心がけ」のコーナーで「生徒の質問」を扱ったときのこと。教師がわざとまちがったことを発言してどうなるかという話です。

 ◆(Vol.004から)
 ……教師が間違ったことをするのには細心の注意が必要です。
 「ひっかけられた」や「ばかにされた」と感じる生徒もいるからです。
 教師(自分)と生徒(相手)の間に十分に信頼関係が成り立っているときに
 使った方が無難です。……
 https://note.mu/hyuki/n/n241ab3ea43b7

生徒を「つまずかせる」のは、生徒を不安にさせることです。誰しもつまずくのはいやですから当然です。ですから、生徒を「つまずかせる」ときにも、教師と生徒の間に十分な「信頼関係」があるかどうかが重要なのです。

あなたは生徒をつまずかせようとしている。生徒はそれを「ありがたい」と受け止めてくれるだろうか。それが信頼関係です。

以上で、質問の答えになっていますか。見当違いのことを書いていたらごめんなさい。

結城が本を書くときにも、これと似たような場面がよくあります。読者に「あれ?」という疑問を抱かせ、その疑問を、話の進行の原動力とするような場面です。これもまた、どこかでお話ししましょうね。

教えること・文章を書くこと・伝えること…何かご質問がありましたら、お気軽に結城までお寄せください。

お待ちしております。

次回もどうぞお楽しみに!

※Photo by webtreats.
https://www.flickr.com/photos/webtreatsetc/5972016444/

※このノートは「結城メルマガ」Vol.014の内容を編集したものです。よろしければ、あなたもご購読くださいね。
http://www.hyuki.com/mm/

※以降に文章はありません。「投げ銭」での応援を歓迎します。

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