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子供に教えたい学びについて(教えるときの心がけ)

※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです(結城メルマガVol.100より)

先日、つれづれのままに「子供に教えたい学び」のことを考えていました。

●単元を越えて

学校で学ぶ数学は「単元」と呼ばれる細かい単位にわかれています。初めてある項目を学ぶときに数学を単元ごとに学ぶのはいいのですが、多くの単元を学んだ後になっても、ずっと単元という区切りを意識し過ぎるのはよくないと思っています。

数学のおもしろさの一つは、いろんな分野が相互に関連しあうところにあります。一見無関係に見えるような項目が不思議なほど関連しあうので、その関連の魅力が伝わるように教えられたらいいなあとつねづね思っています。

学校の授業では時間の制約があるので難しいでしょうけれど、結城が執筆する「数学ガール」シリーズでは、その関連を強調するように心がけています。単元の壁をできるだけ越えるように、複数分野ができるだけつながるように描くということです。

そのような複数分野の関連で典型的なものが、

 ・行列
 ・複素数
 ・平面図形(複素平面)
 ・三角関数
 ・ベクトル

です。学ぶ側にとっては一つ一つけっこう難しいのですが、複数分野の関連に気づき始めるとがぜん数学が魅力を増し始めます。

数学を「端からきちんと順番に学べば完璧」と考える優等生は、もしかするとこのような複数分野の関連に気付かないかもしれません。三角関数の問題は三角関数を使って考えなくちゃいけない!と誤解しているまじめな生徒もいるかもしれません。

高校数学の範囲であっても、複数分野の関連に気付くと深く学ぶことができます。一つ学べば一つ知識が増える、というのではなく、一つ学ぶことで他の分野との関連を考え始めて世界が大きく広がるのです。行列を学べば、平面図形も、複素数も、三角関数も、より深く理解できる。

実は最先端の数学でも(規模と複雑さは違えども)同じことが起きているのかもと想像しています。一つの世界と別の世界に橋を架け、問題を別の世界に持っていって解くということです。ポアンカレ問題は位相幾何学の問題に物理学の手法を使って証明されました。

●子供の学びを信頼して

大人が大人の発想で、子供の学ぶ範囲を矮小化するのは良くないと思います。基礎的な部分はていねいに教えるとして、難しい問題・高度な問題・実世界の問題を子供にチラ見させるのは決して悪くないはずです。

子供が歩む一歩一歩をコントロールして教えるのが大事なのではなく、子供を自分の手の内で管理するのを第一にすべきでもありません。発達段階に応じた指導をするにせよ、子供の成長や子供の可能性を信頼する面が必要です。子供は大人が思う以上に懐が深く、清濁併せ呑む力を持っていて、大きな流れをつかむのもうまい……結城はそう思っています。

●知識を越えて

さらに極論をいうなら、大人は子供に「知識」を教えつつ、「知識以上のこと」を伝えられるのではないでしょうか。

個々の知識を教えるときに、大人(自分)がその知識をどのようにして身につけたか。それを使って世界にどのように向かっていくのか。そのようなことを合わせて伝えられるのではないでしょうか。知識についての知識や、知識を使う知識のことです。

知識を覚えることは大事だけれど、必要な知識を探す方法、検証する方法、応用する方法……を身につけるのはもっと大事です。なぜなら、現代の多くの知識はあっというまに古くなってしまうからです。

もっといえば、大人は子供に「あなたは大丈夫だ」ということを伝えるべきかもしれません。

 「私はあなたを大切に思っている」
 「たいへんな時代だけれど、あなたはこの世界をきっと渡っていける」
 「あなたは大丈夫だ」

そのような肯定的なストロークを子供に与えることの価値は大きく、しかも、知識を伝えることと同時に行えるのではないでしょうか。

 「私はあなたを愛している」
 「細かいことにも手を抜くな。けれども細かいことでおたおたするな」
 「あわてなくていい。本当に大事なことにはじっくり時間を使いなさい」

(個人的なことを書けば、クリスチャンである結城は自分の子供に対して、「人間の力には限りがあるけれど、あなたを愛する神さまがいらっしゃる」と伝えるだろう)

●「地図」を求める気持ちをつぶさないで

単元を学ぶことは大事だし、知識を身につけることも大事です。しかし、子供たちには、それらを学びつつ、より大きな世界を見て取ってもらいたいと願います。単元を学び、知識を身につけてことたれりと思ってほしくはありません。

三角関数の加法定理のようなものが提示されたときに、子供には、

 「これって何だろう」
 「これまで学んだこととどういう関係があるんだろう」
 「なぜこんなことを考えるんだろう」
 「難しいな、でもじっくり考えてみるか」

のように考えてほしいと願います。好奇心を持ち、複雑なものを解きほぐそうと思い、しっかりと理解し、人に説明する力を身につけてほしいと願います。

加法定理を見たときに「やらなければいけないからやる」「覚えろというなら覚える」だけで済ませるとしたら悲しいことです。やることをやり、覚えることを覚えるのは悪くはないのですが。

人間の心はルーズリーフではありません。都合のいいページだけを覚え、都合の悪いページを抜くわけにはいかないのです。過去の自分の記憶や経験と照らし合わせて学ぶのが普通です。だから、いま学んだことを以前学んだことに関連づけたり、「いま学んだこと」は「これから学ぶこと」とどういう関係があるのか知りたいのが自然です。

「数学ガール」に登場するキャラクタの一人、テトラちゃんは学んでいることの「地図」をいつも求めます。学んだことが相互にどう関連しているのかが気になるタイプ。それは重要なことだし、そのように考える人は多いはず。学ぶ本人がまじめに学んでいたら、そのように心が動くのが自然です。だから、せめて、教える側は、その気持ちをつぶさないようにしたい。

単元と単元の関係や、複数分野の関連を考えようとしている生徒に「そんなのを考えるな」とはいわないでほしい。複数分野をまたがるガイドは難しく、時間の制約もあるから、適切なガイドをせよとはいえないけれど、せめて、生徒のやる気をそがないように、と願います。

もしかしたら教師には「教えつつも支配しない」という自制が必要なのかもしれません。教える人が、「えらそうに教えること」で自分の心の平安を保つようではいけません。それは素直に学ぼうとしている生徒を食い物にしてしまう。《教師は水のように》ありたい。教師のドヤ顔は年に三回でいい。

もっともいい教師は、生徒に忘れられる教師かもしれません。自分ですべてを発見したように生徒が感じるとき、生徒が「こんなに楽しいなら、もっと学びたい」という思いを自然に抱くとき、それは最高の教師に学んでいる証拠かもしれません。

……なかなかその境地にはなれそうもないし、実際の「生徒に授業で教える先生」ではないけれど、結城は自分の書く本を通して、そのような教師になりたいと願います。

力と励ましを生徒に与え、教師の思いをはるかに越えて未来に向かおうという希望を与える教師に。

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※Photo by webtreats.
https://www.flickr.com/photos/webtreatsetc/4155634227/

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