多様性で思うこと(日々の日記)
「多様性」という言葉を見ると、こんな聖書の言葉を思い出します。
そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。(コリント人への第一の手紙12章から)
人はしばしば、相手を自分と同じ姿にしたがります。また相手を自分の価値観で裁いてしまいます。自分と相手が違っていたら一つになることはできないし一緒にいられないと考えてしまう場合もあるでしょう。
でもよくよく考えてみると、本当にそうなのでしょうか。本当に、相手を自分の姿と同じにしなくてはならないのでしょうか。相手を自分の価値観で裁いていいのでしょうか。自分と相手が違っていたら一つになれないのかしら。一緒にいられないのかしら。
一つの身体はたくさんの多様な器官で成り立っています。私たちの社会もそうではないでしょうか。
身体中が手になったり、身体中が目になったりしたら、逆に恐い話じゃないでしょうか。
「多様性」という言葉を見ると、私はそんなことを思うのです。
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※結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年7月14日 Vol.172より
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