理解の質を《対話》で見極める(学ぶときの心がけ)
質問
結城さんは「理解できていない」と「理屈は理解できたが反復練習が足りない」を自覚的に区別していますか。
また、自分が未知の知識に接しているとき、どちらの状態にいるかを判別する良い方法はありますか。
自分が学生時代に数学でつまずいたところを思い返すと、実は「理解できていない」のに自分では「反復練習が足りない」だけだと思い込んでいたことが多いように感じます。
自分で「反復練習が足りない」と思い込んでいる場合には、たとえ教師から「何か質問があるか」と聞かれても、自分は反復練習が足りないだけだから特に質問はないと判断してしまい、壁を乗り越える貴重なチャンスを逃してしまいます。
言い換えるならば、自分が現在ぶつかっている壁、乗り越えるべき壁の性質がわかっていないということだと思います。
学ぶ側であれ、指導する側であれ、このあたりの壁の性質を認識する方法について考えがあれば教えてください。
回答
ご質問ありがとうございます。
これはとても素晴らしい問いだと思います。また、自分の理解の質を見極めるのはとても難しいことだと思います。私の感じていることを書いてみますね。
あなたのご質問を一言で言うなら、
ではないかと感じました。あなたは「反復練習が足りないだけ」という表現をしてくださいましたが、それは何かを達成するための手段や方法であって、達成したいこととはちょっと違うと感じました。なので便宜上、次のように表現させてください。
「理解している」状態のこと→「わかる」
「理解していて、さらに反復練習もできている」状態のこと→「できる」
あなたのいう「壁の性質を認識する」というのは、次の二つを見分けることに相当しそうです。
自分はまだわかっていないから、わかるようにしなくてはいけない。たとえば、理解のために先生に質問をする。
自分はわかっているけれど、まだできないから、できるようにしなくてはいけない。たとえば、反復練習をして慣れる。
では、この二つをどうやって見分けるか。
私はこの二つを見分けるカギは、広い意味での《対話》にあると思います。
教える立場で考え、教師が生徒の状態を見分けるとしたら、生徒に質問し、生徒に答えてもらう。生徒の説明を聞き、確認のために問いを返す。《対話》というコミュニケーションを重ねます。それを通して生徒がどういう状態にあるかを見分けるのです。
たとえば、大学で行われている「ゼミ」は、ずばりそういう形式になっているはずです。教員と学生が対話を重ねながら、どこまで、どの程度、どのような理解にたどり着いているかを探る場。それがゼミです。そこで行われている《対話》には理解の質を探るキモがあると思います。
そのような、理解の質を探る《対話》は、「数学ガール」シリーズで私が描いているものにも通底します。私がこの物語を書き始めたときには私自身も《対話》の重要性をよく理解してはいなかったのですけれど。
学ぶ立場で考えても同じく《対話》が重要な意味を持ちます。一人で学ぶ場合でもそうです。自分自身を相手に行う《対話》、すなわち自問自答がカギになります。自分の理解を確かめるために自分で問い、自分で答える。答えようと試みる。そんな自分とのやりとりの途中に、何か引っかかる部分はないか。本当に心の底から「確かにそうだ」といえるか。その自問自答のプロセスは、学びにおいて本質的です。
自問自答を通じて学ぶ前提となるのは《自分の理解に関心を持つ》という態度であり、自問自答のプロセスで大事なのは《わかったふりをしない》という態度です。
学びの品質を向上させるのは《対話》です。その《対話》を成り立たせているのは、対話相手との信頼関係です。信頼関係は「何でも尋ねて構わない」「何度でも聞き返して構わない」という部分に現れます。学習者の心理的な安全性ですね。
自問自答では、自分自身との信頼関係が大切になります。自分自身との信頼関係とは、健全な自尊心にほかなりません。すなわち、自分を大切にする気持ち、自分はこのような疑問を抱いてもいいのだと思える気持ちです。
健全な自尊心がないと、安心して自分に問いをぶつけることができなくなります。自分に問いをぶつけようとしたときに「こんなつまらないことを考える自分には価値が無い」と考えたり、自分にぶつける問いで「こんなことにも答えられない自分はダメだ」と、自分がぐらぐらしてしまうからです。それでは理解を深め、理解の質を見分ける自問自答はできません。
あなたのご質問の中に「自分が乗り越えるべき壁の性質を認識する」とありました。それは自分の「わかってない感覚」を的確に感知することともいえますね。「このくらいすぐできるさ」「あーわかったわかった」のような誤謬に陥らずに「本当に自分はわかっているのか、わかっているとしたら何ができて然るべきか」とていねいに考えることです。
言うまでもありませんが、そこではメタ認知の力が必要になるでしょう。問題を考えると同時に、問題を考えている自分について考える力です。「私はいま何を考えているのか」や「私はいまどこで引っかかっているのか」と問えるかどうか。
結城は、ここまであれこれ書いてきた要素とその組み合わせを重視しています。学ぶこと、教えること、伝えること、考えることにとって大事な要素が、ここまでの話に高濃度で詰まっていると感じます。
そして、ここまでの話した内容が最もダイレクトに描かれているのは『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』ではないかと思います。サブタイトル通り《学ぶための対話》ですね。
◆数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話
毎週書いている結城メルマガも、数学ガールの本も、Web連載も、読者さんの質問に回答することも、私が書いている文章の大半は、いまお話ししていることに深く関わっていると感じます。
繰り返しになりますが、改めてまとめると、自分の理解の質を見極める方法は《対話》することです。誰かに説明する。自分自身に説明する。文章に書いてみる。自問自答する。それらによって、自分の理解の質をある程度までは見極めることができるはずです。
あなたのご質問にはあまり答えとなっていないかもしれませんが、私としては深いレベルでお答えしているつもりです。このような貴重な質問を送ってくださったあなたに深く感謝します。
ご質問ありがとうございました。
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結城浩はメールマガジンを毎週発行しています。