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教師とは何だろうか(教えるときの心がけ)

※この文章は結城メルマガVol.227からの抜粋です。

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「教えるときの心がけ」のコーナーです。

今日は、

 「教師とは何だろうか」

という話題。

 * * *

教えるとき、説明するとき、学ぶとき、私たちはいつも「定義」というものを大切にします。定義を大切にし、議論が変な方向に行かないように、まちがった結論へたどり着かないように注意します。

「定義」を定義することは難しいですが、「○○とは○○である」という言い回しになることが多いでしょう。

「偶数とは、2で割り切れる整数のことである」なるほど。これなら誤解がないですね。偶数がきちんと定義されています。

では「教師」の定義は何でしょうね。法律でどう定められているかという話ではなく、自分の個人的な考えでかまいません。自分は教師というものをどのようなものとして定義するか、というのはよい問いかけかもしれません。

 * * *

そんな大仰な話を持ち出すきっかけは、先日「どんな心づもりで相手に向かうか」を考えていたからです。

たとえば相手に対して、

 「私は問題に対する解答を持っている」

というスタンスで向かったとしますよね。どんな問題がやってきても大丈夫。私はあなたに解答を提示することができる。私はどんな問題に対しても解答を持っているのだから。

もしも私が、そんなスタンスで相手に向かったら、相手は私を「解答集」のように扱うでしょうね。だって「私は解答を持っている」というのは、「解答集」がいいそうな言葉だから(いや、解答集は何もいいませんけれど、まあ、言葉のあやとして)。

 * * *

またたとえば、相手に対して、

 「私はあなたと共に問題に立ち向かおう」

というスタンスに立つとしましょう。私は問題の解決法を持っているとは限らない。でも、あなたをひとりでその問題には向かわせない。私は必ずあなたといっしょに、あなたと共にその問題に向かおう。いっしょに問題に立ち向かおう

そういう態度で相手に接したら、接することができたなら、相手は私のことを「仲間」として扱うでしょうね。いっしょになって問題に立ち向かう仲間です。

 * * *

さあ、では「教師」とは何でしょう。教師は、相手に対して(生徒に対して)、どんな心づもりで向かうんでしょうか。

いろんな問題がやってくるときに、「私は解答を知っているぞ」というスタンスでいる? それとも「あなたと共に問題に向かおう」という態度を示す?

そのどちらの要素も「教師」には必要ではあるでしょう。でも、教師は解答集とイコールではないし、教師は仲間とイコールではありません(ですよね?)。

では、教師とは、いったい何でしょう。

 * * *

いえいえ、結城は何か素敵な答えを持ち合わせているわけではありません。きらきら光る「教師の定義」を持ち出すことができたらいいんですが、そういうわけではありません。

「教師とは何だろう」ということを考えて、「難しい問いだなあ……しかし、考える価値のある問いだなあ」と思っているのが現在の状態です。

単純な問いではありません。あなたなら「教師とは?」という問いに何と答えるでしょうか。

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