反実仮想と恋の歌(古今和歌集を読む)
夢だとわかっていたならば……
新海誠監督の映画『君の名は。』は有名ですが、企画段階での仮題が『夢と知りせば』だったと先日知りました。
思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢としりせば覚めざらましを
古今和歌集552 小野小町(おののこまち)
に着想を得たのだそうです。
現代語に翻訳するなら、次のようになります。
あの人のことを思いつつ眠るので、あの人のことを夢に見てしまったのだろうか。あれがもし夢だとわかっていたなら目を覚まさかったのに。
反実仮想
古文の授業でも習いますが、『夢と知りせば』の「せば」というのは、
「もしも〜だったら」
という意味を持つ連語です。多くの場合には、
せば……まし
のような形で使われます。ここに出てくる「まし」という助動詞は、
反実仮想(はんじつかそう)
を表すものです。
「反実仮想」というのは「現実に反することを仮定した上で、推量する」という意味になります。要するに、
「現実はそうではないんだけれど、もしも〇〇であったなら……」
という含みのある表現ですね。
桜がなかったならば……
反実仮想の「せば……まし」が使われた歌で有名なのは、次のものです。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
古今和歌集53 在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)
現代語に翻訳するならば、
世の中にまったく桜がないならば、のどかな気持ちで春を過ごすことができるだろうに。
ということになります。
しかし現実には、世の中に桜は存在し、見ているものの気持ちをかき乱し、心を悩ませる……ということですね。
嘘や偽りがなかったならば……
反実仮想の「せば……まし」が使われた別の歌には、こういうものもあります。
偽りのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし
古今和歌集712 読人しらず
現代語に翻訳するなら、次のようになります。
もし、私たちの関係というものが、嘘や偽りのないものだったなら、あの人の言葉は、どれほどにうれしかったでしょうか。
しかし現実には、私たちの関係には(あるいは恋愛関係というもの全般には)、嘘や偽りが入り込んでいますから、あの人の言葉をそのまま取ることはできますまい……ということになります。
現実との乖離
反実仮想は、現実とは違う仮定を置き、そしてその上で推量をするものです。ですから必然的に、
反実仮想は恋の歌に似合う
といえるかもしれませんね。
ああ、こうなったらいいのにな……
こんなふうならば、よかったのに……
もしも私のことを思ってくれたならいいんだけれど……
しかし、現実には違う。
確かにこれは、恋の歌に似合います。
残される余韻
「せば……まし」という反実仮想の表現は、現実とは違う推量を表現しますが、字面の上では現実を語りません。「しかし、現実には……」の部分は暗黙のうちに示されるだけです。
「覚めざらましを」と詠嘆し、「のどけからまし」で歌は終わり、「うれしからまし」で言葉は終わり、余韻が残る。
現実とのギャップ、そして語り手の心の揺れは言外で語られ、聞き手の心の中で完成するのです。
大きな省略は余韻を生むだけではなく、相手と共有しているコンテキストの大きさも意味します。
古文では「花」といえば桜の花を意味します。恋の歌で「人」といえば恋しくてしかたがないあの人になります。そして「世」といえば恋愛関係を表します。
古文とは、なんとハイコンテキストで圧縮された表現でしょう。
* * *
「反実仮想と恋の歌」というお話でした。
結城浩のメールマガジン 2017年7月25日 Vol.278 より
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