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「わからない」の管理と心の中の教師(教えるときの心がけ)

※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです(結城メルマガVol.184より)

「数学ガール」の執筆をしていると、そこに登場する数学ガールたちの会話に耳をすませることになります。彼女たちの会話を聞いていてしみじみと思うのは、

 わからないことを「わからない」と表現するのはとても大切だ

ということです。

もちろん、その「わからない」を生徒がさっと表現できれば、それに越したことはありません。数学ガールの登場人物でいえば、テトラちゃんは自分の「わからない」を表現するのがとてもうまいですが、ユーリはそれほどではありません。しかしながら二人とも「わからない」という主張自体はしっかり行います。

「数学ガール」の世界では、「わからない」を表明して責められたり馬鹿にされたりすることがありません。これはある意味では理想的な世界ですが、学びの世界はそもそもこうあるべきではないでしょうか。

学びの場、たとえば学校、塾、あるいは個人学習の場でもいいですが、もしも「わからない」ということを表明できないとしたら、学びの効果は非常に限定されてしまうでしょう。

そもそも、パッと聞いてサッと「わかる」ものばかりだったら、学ぶのに苦労はありません。必ず「わからない」という状態を通過して学びは進むのです。

「わからない」と表明することを禁じられたり、責められたり、馬鹿にされたりするというのは、学び手に取って大きなショックです。

学びの場ではわからないときに「わからない」と表明することが「許可される」ではなく、「推奨される」べきだと思います。そして、教師役の人は生徒役の人に対して、自分の「わからない」をうまく表現させる技術を伝えるべきではないでしょうか。

(あ、「べき」というのは言い過ぎでしょうかね。そのような技術を伝えた方が、学びはスムーズに進むと言いたいのです)。

 * * *

私は自分の書いた本を読んでいて、われながら気持ちよくなります。それは、数学ガールのテトラちゃんやミルカさんたちの数学トークでは、「わからない」が遠慮なく提示されるからです。

学びの場ではいろんなことが起こります。パッとわかるときもあります。すぐにはわからないけれど、ちょっと考えたらわかるときもあります。あるいは「わかった!」と思ったけど勘違いだったときも。がんばって学ぼうとしているけれど、何度聞いても理解できないときだってあります。そのような「理解の状況」をうまく自分で管理できるなら、学びは非常に楽しく、効果的でしょう。そしてそこでは必ず「わからない」を取り扱わなければなりません。

それなのに、もしも「わからない」を表明できないとしたなら、「理解の状況」の管理は不可能です。

生徒にとって「どこがどうわからないかを表現できない」場合はよくあります。そもそも学びたての概念は心の中でふわふわと定まりませんし、用語も覚えたてなら、正しい言葉遣いもできないことが多いでしょう。誤解が生じて、へんな言い回しになったりすることもあります。そのような状況で、もし「わからない」ことを非難されたら萎縮するのがふつうです。

ですから、学びの場で「先生」の役目を担っている人には、「生徒」が表明する「わからない」を責めないでほしい。変な言い回しをしても馬鹿にしないでほしいし、悪意のあるトーンでの「からかい」もやめてほしい。そうではなくて、どのように「わからない」を表現すればいいのかを教えてほしい。ほんとうにそう思います。

学ぶのがうまい人は、自分の心の中にすぐれた教師がいます。生徒としての自分の「わからない」をきちんと受け止める。そして、自分の「わからない」を解決するための方向をいっしょに探る。そのようなすぐれた教師が心の中にいるのです。

学ぶのがうまい人は、教科書・参考書・試験問題などのツールを使う際に、しっかりと自分の「わかる」「わからない」を管理します。「私はこれはわかっているからこの問題は解けるはず」「ここはわかっていないからまだ解けないはず」などと考えながら学んでいる。

学ぶのがうまい人は、試験の準備をするときも、自分の弱いところ、自分がわかっていないところをきちんと探そうとする。それは「わからない」という状態を恐れていないからです。「わからない」を管理できている。試験準備のときには自分の「わからない」を探し、そこを重点的に学習する。

さらに、学ぶのがうまい人は、自分の「ここはわかっている」という感覚がほんとうかを確かめようとする。「わかったつもりだけどほんとはわかってない」という状態に陥ってないかを調べる。

学校の学びであれ、何かの技術の習得であれ、そのような「わからない」を見極める学び方をしたならば、そりゃ学習効果は高いでしょう。学ぶのがうまい人は加速度的にスキルアップしていく。

本来、教師役の人は、そのような「わからない」の管理に秀でており、しかも、その管理方法を生徒に伝授すべきです。

(あ、また「べき」とか書いちゃった。伝授してほしい、と期待します)

 * * *

「数学ガール」に登場する中学生・高校生はもちろん賢いのだけれど、単純に知識が多いという話ではない。彼女たちは学ぶのがうまいのである。

彼女たちが作り出す学びの場は、「わからない」を馬鹿にしない。むしろ誰かの「わからない」に真剣に向かい合い、答えようとする。そのプロセスから引き出される深い喜びを味わっている。そりゃ楽しいわけだ。

彼女たちが作り出す学びの場には、互いに対する信頼がある。「わからない」と表明しても馬鹿にされることはないという安心感や、私たちは真摯に数学や学びに向かっている仲間なんだという自負もある。

結城はここ数年ずっと、彼女たちの活動を記録して本という形にまとめています。私は「学びの場を描こう」と思って書き始めたわけではなく、彼女たちが作り上げている場を書き留めるうちにそのことに気付いたのです。私自身が彼女たちからたくさんのことを教えられている。

結城はこれからも「数学ガール」シリーズと、「数学ガールの秘密ノート」シリーズを書いていきます。これらのシリーズは、

 数学を学ぶ物語でもあり、
 学ぶことを学ぶ物語でもあり、
 学ぶことを楽しむ物語でもあります。

ぜひ、末永く応援してくださいね。よろしくお願いいたします。

 * * *

以上、「教えるときの心がけ」のコーナーでした。

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