結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2018年6月12日 Vol.324
/大切にした人の嫌なところ/連載漫画が描けない/学歴コンプレックス/質問への回答で心がけていること/
はじめに
結城浩です。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
先日Twitterで「美しいと思える小説のタイトル」というハッシュタグがトレンドに入っていました。「これは美しいなあ」と思えるような小説のタイトルをみんなで挙げていくわけですね。とても楽しいハッシュタグです。
ところで頭が校正モードになっていた私は、ついこのハッシュタグについて考えてしまいました。
「美しいと思える小説のタイトル」という表現で「美しい」というのは「小説」なんだろうか「タイトル」なんだろうかということを考えたのです。
(1)「『美しいと思える小説』のタイトル」
(2)「美しいと思える『小説のタイトル』」
ふつうに考えると(2)です。でも頭が校正モードになっていると、誤読の可能性をどうしても考えてしまうのです。
さらに「あなたが美しいと思える小説のタイトル」だったらどうなるかなと考えを進めました。こうすると美しいものの候補として「小説」「タイトル」の他に「あなた」が加わります(!)。
誤読の可能性をできるだけなくしておきたいと考えるなら、たとえば「タイトルが美しい小説」という表現にする方法があります。
(A)「美しいと思える小説のタイトル」
(B)「タイトルが美しい小説」
たしかに(A)よりは(B)の方がすっと読めて誤読の可能性は減ります。でも(A)が持っている「含み」のようなものは失われてしまいますね。
(A)の方には「と思える」という言葉が入っているために「他の人はさておき、自分としては」というニュアンス、自分の主観でいいんだよというニュアンスが入ります。(B)の方ははっきり言い切っているので明確ですが、Twitterのハッシュタグとしては(A)の方が親しみを感じられるかも。
頭が校正モードになると、こんなことを延々と考えてしまうのです。
ではそろそろ、今回の結城メルマガを始めましょう。
目次
はじめに
目次
大切にした人の嫌なところが見えてきたら
読み切り漫画は描けるけれど、連載漫画が描けない
志望順位が低い大学に進学した大学一年生、学歴コンプレックスに悩む
質問への回答で心がけていること
おわりに
大切にした人の嫌なところが見えてきたら
質問
数学ガールが大好きな大学生です。いつも楽しく読ませていただいています。
つい最近、交際していた方とお別れしました。付き合うまでは、その人の「素敵なところ」だと思っていた性格が、交際を始めてその人と過ごす時間が増えて詳しくなるにつれて、自分にとって「嫌なところ」に思えてきてしまいました。それがきっかけで、その人とうまくコミュニケーションが取れなくなってしまったと今では思います。
もし、次に、付き合いたいと思えるような方と出会ったとしても、また、その人の長所だと思ってたことに嫌悪感を抱いてしまうようになるかもしれないと思うと怖いです。
結城先生は、大切にしたいと思える方と親しくなるにつれて、その人の「嫌なところ」が見えてきてしまったときに、どのように思われますか。
また、どうすればよいと思われますか。
ご回答いただければ幸いです。
回答
ご質問ありがとうございます。
ひとりの人と「深く」つきあえば、あるいは「長く」つきあえば、ほぼ確実に「嫌なところ」は見つかるものです。どれだけ深く、どれだけ長くつきあっても「嫌なところ」がまったく見つからないなんて人はこの世にいませんよね。
一回しか会わない人であれば、いくらでもその場でいい顔はできるでしょうし、そもそも情報が少ないので偏りによって全体を誤認することも多いでしょう。長く付き合えばつきあうほど、全体像が見えてくるのは当然のことです。問題はそこでどう判断するかですね。
全体像が見えてきたときに、その相手に魅力を感じ、大切な存在だと思うことができるかどうか。そしてまた、人間は変化するものですから、いま「嫌なところだ」と感じている部分がまた別のときに魅力に転じることがあるのかどうか。その判断になりますが、なかなか難しい話です。
長所と思って付き合ったけれど、また嫌悪することになるのではという恐れは理解できますし、実際にそういうことになるかもしれませんが、人はひとりひとり違うものです。あまり人との出会いをパターン化して考えない方がいいですよ。いままでの相手とは違う「かけがえのない、この人」に出会うこともあります。
そして、あなたにとって「かけがえのない、この人」だとしても、深く・長く付き合ってくるとやはり「嫌なところ」が見えてくる可能性は高いです。そのときに「またか」とパターンに当てはめないように注意が必要です。
あなたが以前お付き合いしている人と別れたのは最近のことですね。交際していた人と別れるというのは、とても心悩ますできごとだったと思います。まだ時間が経っていないなら、どうしても悪い方に考えがちです。「次に、付き合いたいと思った人と出会っても、また……」のように怖くなってしまうのはしかたがありません。
自分に対して「心を休めるための時間」をきちんとプレゼントしましょう。他人を愛するためにも、自分を愛してあげなくてはね。
ご質問ありがとうございました。よき出会いがありますように。
読み切り漫画は描けるけれど、連載漫画が描けない
質問
連載漫画が描けずに悩んでいます。
私はこれまで、30ページから50ページの読み切り作品を中心に漫画を描いてきました。その中には「連載にしてみよう」と言われた作品もあったのですが、いつも続きが考えられず、話が流れてしまいます。
私は主に「自分が気づいたこと・感動したこと・思い浮かんだシーン」から話を膨らませます。読み切りというのはまさに「その部分」を描きたくて作ったお話ですから、伝えたいことを描き終えてしまうと満足してしまい「じゃあ、そのキャラの続きの話を…」と言われても、何を起点に話を広げていいのかわからなくなってしまうのです。
そこで「キャラ」から話をつくってみようと、設定を考え、自分でも好きなキャラができたなっと思っても、いざ物語にしましょうとなるとまったく動きはじめません。人はできてもそれがストーリーにつながりません。伝えたいことがないと物語の組み立てがわからないという感じなのです。
発想の転換が必要だと感じているのですが、どうすればいいかわかりません。何かアドバイスをいただければ幸いです。
回答
ご質問ありがとうございます。
私には漫画は描けません。でも、物語を書くときに心がけていることがありますので、その話を書いてみようと思います。
「登場人物本人」と「登場人物が置かれた状況」
まず一つは「登場人物本人」のこと。「登場人物本人」を、人格を持った人としてきちんと扱うことを心がけています。作者の都合で勝手に動かすことはできませんし、登場人物が語る言葉にじっと耳を傾ける必要があります。登場人物は生きているのです。
そしてもう一つは「登場人物が置かれた状況」のこと。登場人物がどういう状況に置かれるかは作者が考えるわけですが、登場人物が《最も困る状況》を作ることが大事です。そこを手加減してはいけません。これはあくまで比喩ですが、作者は崖っぷちに立っている登場人物の背後に回り思いっきり背中をどーんと突き飛ばす。そういう感覚です。登場人物を容赦なく《最も困る状況》に突き落とします。「背中をどーん」が大事なのです。
あなたは「思い描いたシーン」から話を膨らませるとおっしゃいました。私はそれも大切なことだと思います。自分が伝えたいことがあり「その部分」を描きたいという気持ちは大事です。でも、つい、自分が描きたいシーンへ向かって登場人物たちを動かしたくなる危険性があります。うまく行けばいいのですが「この物語で生きているのは作者一人。登場人物はみな作者によって動かされているだけ」になっては困ります。
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