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自分より優秀な人を見るとつらい(人生を歩む)

質問

結城先生、こんにちは。

僕は小学生の頃からプログラミングを始め、今は大学生です。

初めは好きでやっていたことですが、今はまわりの優秀な人たちを見ていると苦しくなります。だからつい、もっと上を目指してしまいます。でも、これからもずっと、このつらさがつきまとうことに耐えられるのかと不安です。

自分に、何か他のアイデンティティがあれば良いとは思いますが、他人より優位に立てるものしかアイデンティティとして認められない自分もいて苦しいです。

心の持ち方、アイデンティティに関して結城先生の考えをお聞きしたいです。

結城浩のメールマガジン 2018年5月1日 Vol.318 より

回答

ご質問ありがとうございます。

私自身も、大学生時代に自分のアイデンティティに関して悩みました。あなたとやや方向性は違いますが、ぐるぐると苦しかったことはよく覚えています。私自身は「自分を特徴づけるものは何か」で苦しむことが多く、「他者との比較」についてはあまり気にしていなかった(まわりが見えていなかった)と記憶しています。

さて、あなたが優秀な人を見てはげみにするのはいいことです。でも、あなたが書いているように、他人より優位に立てるものしかアイデンティティとして認められないというのは確かに苦しいことだと思います。

正直にいいますと、他人より優位に立てるものしかアイデンティティとして認められないというのはかなり無茶な話、不可能に挑戦するような話と思えます。

なぜなら、世の中は広いから。あなたがどんな分野、どんな領域を選択しようとも、ほとんどすべての分野や領域で、あなたよりも優秀な人は必ず存在するでしょう。もしも、他人より優位に立たなければならないというのを推し進めるのなら「自分の活躍場所」をとても狭く限定してしまう危険性がありますよね。

忘れて欲しくないことが一つあります。それは大学生であるあなたは「大きな変化の途上にいる」ということです。

現在あなたは自己認識を持っているでしょう。自分はこれがこのくらいできる。自分はこれはこのくらいしかできない。自分はあいつよりもこれが得意だ……という自己認識です。

でも、あなたは「大きな変化の途上にいる」のですから、あなたが持っている自己認識こそ、大きく変化していくのです。「自分はこういう人間だ」と思い込みすぎるのは不適切です。流れていく川を氷のごとく考えるように不適切です。枝を大きく広げようとする若木を彫刻のごとく考えるように不適切です。

あなたの中には、あなた自身が気付いてない能力がまだまだたくさんあります。あなたはそれを発見し、大きく育てることになります。それは他者との比較から生まれるものではありません。そうではなく、自分の存在を認め、自分の変化を認め、自分を大切にするところから生まれます。自分という生き物を育てていくのです。

自分を育てる過程の中で、他者との比較がはげみになることはあるでしょう。でも他者との比較が成長の主目的ではありません

もっというならば、あなたに価値があるのは、あなたが何かをできるからではなく、あなたがあなたであるからです。一つの能力や一つの分野で秀でているから価値があるのではありません。存在に価値があるのです。それはあなたが「人を愛する」ことを知ったときに深く実感するはずです。自分が愛する人に価値があるのは、その人が何かをできるからではなく、その人がその人であるからなのです。

それと同じ意味で「自分を愛する」とき、すなわち自分自身の存在をそのまままるごと認めるとき、それが自分の成長の土台となります。何かができるから自分に存在意義があるのではなく、自分の存在が認められるからのびのびといろんなことができるようになるのです。

自分が「大きな変化の途上にいる」ことと、「自分の存在をまるごと認めて自分を愛する」ことをどうか覚えていてください。

以下の文章は二十年前に書いたものですけれど、今日のあなたのために書いたような文章に思えました。

◆こどもとおとなのあいだにいるあなたへ

ご質問ありがとうございました。

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