教師としての姿勢を生徒に伝える(教えるときの心がけ)
※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです。
こんにちは、結城浩です。
「教えるときの心がけ」のコーナーです。
このコーナーでは、あなたが教師役として誰かに何かを「教える」ときに心がけた方がいいことをお話しします。
●メルマガはトリガー
メルマガの良い点は、あなたの手元に「定期的に届く」ことです。当たり前のことですけれどね。
本ならば、自分でその本を手に取って、開いて読む必要があります。時間をかけて読み終え、その本を閉じて本棚に戻したら、次回その本を開くのはずっと先のことでしょう。よっぽど印象が強くなければ、その本のことはもう忘れてしまうかもしれません。そうですよね。
メルマガならば、定期的に届きます。それは、読者(つまりあなた)にリマインダーが届くようなものです。個々の内容はさておき、メールがポンと届く。そこであなたに、
○○のこと、意識していますか?
最近、わすれてませんか?
のようなトリガーがかかる。
結城は、この「トリガーがかかる」という点に、読書媒体としてのメルマガの、大きな特徴があると思っています。
結城メルマガは「コミュニケーションの心がけ」というタイトルです。コミュニケーションは何らかの意味で「実践」しなくては意味がありません。理屈だけ覚えてもしょうがないのです。なので、定期的に
コミュニケーションのこと、意識していますか?
とトリガーがかかるのは、なかなかいいメディアだなあと思うのです。
おっと、前置きが長くなりすぎました。今日は、「教えるときの心がけ」として、
姿勢を伝える
というお話をしましょう。
●知識を伝えるだけじゃない
私たちが人に何かを「教える」ときには、普通は「知識を伝える」ことをイメージします。
知識、情報、データ、ノウハウ、方法、やり方、メソッド、手順…いろんな表現や言い方がありますけれど、ともかく「知識を伝える」ことが「教える」ことだと思いがちです。逆に、私たちが何かを「教わる」ときにも、普通は「知識を伝えてもらう」ことをイメージします。ですよね。「あなたはどんな有益な情報を教えてくれるのかな?お手並み拝見!」という気持ちになりますよね。生徒としては。
しかし、よくよく考えてみますと「教える」ときや「教わる」ときに起きていることは、そんなに単純ではありません。コンピュータとコンピュータをケーブルでつないで、データがどーっと流れる…「教える」ことは、そういうものではないようです。
もちろん、教師として、あなたの持っている知識を生徒に伝えることは大切です。けれども、教えるというのは知識伝達がすべてではありません(よね?)。
教師と生徒の間には「生きた対話」が必要なのです。
教師「ここはこうしてください」
生徒「どうしてですか。そのようにしたら、こんなことが起きちゃいます」
教師「大丈夫、そんなことは起きません」
生徒「だって、先ほど先生は、こうなるっていったじゃないですか」
教師「ああ、そうですね。でもそれはまれです」
生徒「でも心配です」
教師「それなら、このような準備をしておけばいいんですよ」
生徒「難しそうですが」
教師「難しくはありませんよ。なぜなら…」
ずいぶん抽象化して書きましたが、教師と生徒のこのようなやりとりは、単純な知識伝達というよりも…
「学ぶ場」に教師と生徒が共にいる。
「学ぶ題材」が教師と生徒の間にある。そして、
何かを一緒に体験している。
その場で「生きた対話」を行っている。
…そんな感じがします。
ここ、大事なので読み流さないで。教師と生徒が、生きた対話をしながら、何かを一緒に体験しているんですよ。
生徒が教師から学ぶのは知識だけではありません。生徒は――
・学びを進める際の教師の姿勢、
・学んでいる内容を人に伝えるときの方法、
・そして、トラブルに遭遇したときの対処法、
――を教師との対話で学びます。
だから、教師の役目は重要です。
ある教師のもとでは、生徒はやる気を出して生き生きと学ぶ。その教師からその科目についての知識を受け取るだけではなく、他の科目への学習意欲まで増していく。
別の教師のもとでは生徒はやる気が出ない。もちろんそんな状況では知識すら増えることはない。
同じ教科書、同じテキストを使っていても、教師が違うだけで、そのような差異が出る。あなたは学校生活の中でそんなことを体験した経験はありませんか。ありますよね。あの先生の話なんぞ聞きたくない!という先生もいれば、あの先生の話は少しも漏らさず身につけたい!という先生もいる。
同じことは学校だけではなく、「教えるとき」にはいつも起きるものです。
●学ぶ姿勢を教師が見せる
結城は、学生さんから頻繁にメールをいただきます。教師に対する好き嫌いは、科目の好き嫌いに直結していますね。「数学の教師があいつだから、数学大嫌い」というメールももらいますし「あの先生にみてもらいたいから、数学頑張ってます」というメールももらいます。
人が学ぶプロセスは単純ではありません。「誰から学ぶか」によって、学びの進み方は不思議なほどに変化します。
教えるときに「知識を伝えている」とだけ考えるのはよくありません。必要な知識が生徒に伝わるのは大事なことですが、ややもすると「知識さえ伝わればいいんだろう」と思ったり、生徒をデータ保存用ハードディスクのように勘違いする危険性があります。
知識が伝わることだけを考えると、教えた内容を生徒がうまく飲み込めないときに「いらだち」が発生します。まるで「ちぇっ、このハードディスクは書き込みが遅いな」とでもいうように。でも、明らかにそれは間違っています。
生徒は人間です。機械ではありません。
生徒には「知識を伝える」だけではなく、その学びについての「姿勢を伝える」ことも大事ではないでしょうか。
学習内容をうまく飲み込めない生徒に対しては、直面している問題に対して、教師自身が、
どのような姿勢でその問題に立ち向かっているか
を生徒に見せる。そして、学ぶ「姿勢を伝える」ことが大事です。それでこそ、人間として生きている生徒の前に、人間として生きている教師が立つ意義があるというものです。もう一度いいます。生きている生徒という人間の前に、生きている教師という人間が立っている。そのことを自覚しないと、有意義な「教え」や「学び」はないと思います。
ということで――
今回の「教えるときの心がけ」は、
「姿勢を伝える」
というお話でした。いかがでしょうか。 ちょっとお説教っぽかった? でも、きっと「あなた」には伝わったはず。
次回もお楽しみに! 応援の投げ銭を感謝します!
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この文章は「結城メルマガ」Vol.013の内容を編集したものです。あなたもぜひご購読ください。
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