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桜、手元に引き寄せて(日々の日記)

結城メルマガVol.052(2013年3月26日)より

桜の季節ですね。先週は家内といっしょに何度か「花見ランチ」をしました。要するに、おひるどきにどこかに出かけて花見をしてランチを食べるということです。

たまにはということで六本木ヒルズに出かけてランチを食べました。桜も見ましたよ。

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みなさん考えることは同じでして、ものすごい人出でした。みんな手に手にケータイやスマートフォンを持って桜を撮影していました……って私も同じですけれど。

せっかく桜を見に来たのに撮影ばかりに夢中になって……と思う気持ちもありますが、それと同時に「撮影して手元に置きたい」という気持ちもあります。人の「体験」のしかたはいろいろあり、そのいろいろあるところがまた面白いと思います。

目が見える人は目で見て楽しむ。耳が聞こえる人は音を聞いて楽しむ(桜の音ってどんな音だろう?)。カメラで撮るもよし、手で木に触れるもよし。

iPhoneで撮影した写真を見返すのに、PCで見るのとiPhoneで見るのも違う体験ですね。iPhoneで桜を表示させ、手の中に入れ、目のそばにぐっと近づけて見ると、なんだかふしぎな親近感があります。

桜の見方・季節の楽しみ方・休日の過ごし方……年齢が上になってきたせいか、つい人の行動に口をはさみたくなってしまいそうになります。でも、あまり他人の楽しみにつべこべ言わないようにして、それぞれの楽しみ方を尊重できるようになりたいなと思います。

私の場合、夕方になって疲れているときや、眠いときに人の行動が気になってしようがないようです。「気に障る」というか「気が走る」というか。

ぐっすり眠った翌朝にはまったく気にならない細かいことも、疲れているときには気になってしようがない。しかもやっかいなことに、その「気になる」というのが自分に原因があるとはなかなか思えないんですよね。

子供の部屋がちょっと散らかっているのが気になって、子供をしかる。しかるときに自分は、「客観的にみて」これはひどいだろうと思うのだけれど、翌朝になってみると、「客観的にみて」たいして散らかっていないこともある。

ことほどさように「自分の客観性」というのはあてにならないなあと思います。

似たようなことは空腹時と満腹時の気分の違いにも見られます。空腹時に「まずいなあ、まずいなあ、まにあわないなあ」と仕事について焦っていたくせに、満腹したら「まあ、何とかなるんじゃない?」と達観する。ごはんを食べる前後でそれこそ客観的な事実や状況は変わっていないんだけど、主観的な状況把握はまったく変わっている。自分はあてにならないものですね。

自分の気持ちがまずい状態に陥っていることを早めに察知して、ぱくぱくと食べ、ぐーぐーと眠り、さっさと頭や心をリセットしたいものです。

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