「学ぶこと」と「教えること」がこれからの社会で大切になる(教えるときの心がけ)
※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです(結城メルマガVol.117より)
ありがたいことに、結城は毎日のように、
「『数学ガール』を読みました!数学ってこんなにおもしろかったんですね!」
あるいは
「『数学ガール』を通して学ぶことの楽しさを知りました。数学は不得意ですが……」
のようなメールをいただきます。本当に感謝なことです。
一生懸命努力して書いた本を読者さんに喜んでもらえるのはうれしいことです。ですが、そもそも「数学」という学問そのものが非常におもしろいのだともいえます。
「数学ガール」シリーズで「数学」という学問のある一面をうまく切り取ることができ、中高生を初めとして大学生から社会人までの多くの読者さんに訴求できたので、これだけ人気を得られたのだと思っています。
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数学に限らず、どんな学問でも、うまくおもしろさを伝えることができたなら、とても魅力的なものとして捕らえられるのではないかな、とよく思います。
おもしろさの一端を、「数学ガール」シリーズのような形でうまく個人に伝えることができたなら、その個人は、
「うわなにこれ、めっちゃおもしろい!」
と感動して、どんどん学んで先に進んでくれる。シリーズを書いている結城よりもずっと先まで進んでくれる。
実際、「数学ガール」シリーズを読んで「数学を学びたい!」と思い、数学科を選んだ高校生の方は何人もいらっしゃいます。きっとその多くは、あっというまに結城よりも多くのことを深く学ぶでしょう。
教える上で「おもしろさを伝える」ことはとても大切。
学ぶ上で「おもしろさを知る」ことはとても大切。
そのように思います。
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だから結城は「学ぶべき大切なこと」を知っている方々に対して、
「おもしろいってことをちゃんと伝えてほしい!」
と強く言いたい。「おもしろいってこと」という表現に語弊があるとしたら、「魅力」や「良さ」と言い換えても問題はありません。
とにかく「学ぶべき大切なこと」が学び手にきちんと伝わらないのは、とてももったいないことだなあ!と思うのです。
数学はおもしろい。学問はおもしろい。真剣に時間を掛ける価値がある。何十年、何百年、もしかしたら何千年もの間、人類を楽しませることができる(あるいは「人類の役に立つ」でもいいですけれど)。
ときどき、ネットやテレビで、あるいは書物の中で、有名人が「学ぶことを揶揄する」場合があります。こつこつ学ぶことを皮肉ったり、じっくり時間を掛けて考えることを馬鹿にしたり。結城はそういう態度が好きではありません。
自分ができないから、自分のレベルまで他人を引き下げるような姿勢は嫌いです。レベルが高い人のことは賞賛し、それはそれとして、自分は自分のできる限りの努力をする姿勢が好きです。それが学ぶ態度、学ぶ姿勢じゃないかな、と思うのです。
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これから日本は、いや世界も、高齢化社会に入っていきます。結城はそのときに国を支える大切なことの一つに「学び」があると思っています。
時間をただ消費するのではなく、新しいことを学ぶ。また、他の人よりもすぐれたことができる人は、それを人に教える。学び、教える……そのような活動が社会によって重要だと思います。
学ぶには謙虚さが必要です。経験がある老人も謙虚に学ぶ。能力がある若者も謙虚に学ぶ。それは大事なことだと思います。
ネットを含む技術がそのような「学び」の敷居を非常に下げてくれました。ブログであれ、ソーシャルサービスであれ、電子書籍であれ、情報発信する素地は十分できています。
「学び」……これからの社会で重要なことの一つ。「おもしろさ」を知ったなら、人は本来、何歳になっても学びたいと思う存在です。
結城のところにも、60代70代の方々から、「これから新しく数学を学びたい」というメールがやってきます。
結城自身はその「学び」の場にできるだけ良質の本を提供するくらいしかできないのですが、「学びの機会」をきちんとプロデュースするならば(そしてそれがほんとうに良質なら)、それは重要なビジネスになると思います。
老人だからといって軽んじられるのではなく、きちんと尊厳を伴う扱いを受け、基本的なところから始まって理解度に応じた「学び」をすることができるなら、その場は大切なものをたくさん生み出すように思います。学ぶことは人間にとって大事なことです。
最近では、世界でも日本でも多くの大学が講座を無料開放しています。「Webを使ってオープンな学習ができる大規模な講座」はMOOC(Massive open online course)などというキーワードで呼ばれることもあります。このような活動は、これから時代を担う若い人だけではなく、老人にも有効でしょう。
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さらにいうなら、これからは「相互の学び」が大事だと思います。私はいつも教える人、あなたはいつも学ぶ人という一方通行な学びではなく、私は数学をあなたに教えます(私はあなたの数学教師)。でも同時に私はフランス語をあなたから学びます(私はあなたのフランス語の生徒)。このようなスタイルが一般的になるのではないでしょうか。ネットでも相互に教え合う姿はよく見られますね。
そして、それは健全な社会です。みなが教え手であり、みなが学び手であるような社会。それっていい社会だと思います。たくさん学んだ人は他の人の先達となるでしょう。でもそれは「おれはセンセーだ!」といばるためではありません。いばってもしょうがない。この分野では先生だが、別の分野では生徒だから。
互いに学ぶ社会……これは素敵な社会ではないでしょうか。
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「学ぶ」というのは最大の娯楽といえます。数学だろうがフランス語だろうが陶芸だろうが、すべて大きな娯楽です。コンピュータの助けを借りてせっかく余暇が多い時代になったのだから、人間は、人間にしかできないことを楽しみたい。「学ぶこと」と「教えること」はその中心にあるように思います。
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結城は「教える」本をたくさん書いていきたい。結城は「教える」プロである教師にいつもエールを送りたい。結城は「学ぶ」プロである中高生を応援したい。
学ぶ時間をたくさん持っている若者よ、真剣に学ぼう。教える材料をたくさん持っている老人よ、丁寧に教えよう。そして若者も老人も、互いに教え合い、学び合おう。
学び合うこと、教え合うこと。それは未来を大きく変えていくと、結城は強く思っています。
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