未来につながる仕事(仕事の心がけ)
仕事をしていて、こんなことを思う。
それは「自分のいまの活動は、明日につながるか」ということ。明日につながるか。来週につながるか。来月、来年、十年後、そして百年後につながるか、ということ。
自分のための仕事なら、せいぜい十年後につながるくらいでも十分だろう。それが、百年後につながるというのはどういうことか。
それは「別の人に託す」ということだろう。見返りを期待せずに託すということ。
結城は「他人を励ます」ということは百年後にも生きると思っている。
私たちはみな、望むと望まざるとに関わらず、種まきをしている。
悪の種や毒の種をまきたくはない。
善の種や薬の種をまきたい。
命の苗を植え、愛の苗を育てたい。
人は死ぬが、愛は生きる。
私もこの世でいつか死ぬ。でも、せめて、私の残した言葉で、私の伝えた言葉で、愛を知る人が生まれてほしい。愛を伝える人が残ってほしい。
いやいや、私自身のことはどうでもよくて、ともかく、他の人のために愛を伝える人や、希望を語る人や、信じる意味を宣べる人がいたらいいな、と思う。
歳をとると「自分はたいしたことがない」という事実に気付く。オレが、オレが、と主張することは無意味ではないが、大きな意味はない。自分の中にため込んだり、自分の中に隠したりするのではなく、いかに外に出すか。いかに外に残すかが大事になる。
結城に残されている時間は、もう少ししかない。最大見積もって、あと40年生きるとしても15000日はない(40×365=14600)。それだけの日数しかない。だから、ていねいに生きていきたい。
ていねいに生きるといっても、特別なことではない。自分のなすべきことをなし、できる限り家族を支え、私に関わるすべての人にできるだけのはげましを与えたい。エールを送りたい。
そしてもちろん、自分の書くべき本を一冊一冊ていねいに、がんばって書いていきたい。
そういう当たり前の毎日こそ、明日につながる仕事かもしれない。
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結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年6月2日 Vol.166より