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大学生、物事を判断する基準や信念はどのようにして持てばいいのか

質問

結城先生へ。

「自分の信念を持つ」ということについての質問です。

私のまわりの好きな人や尊敬している人たちはみんな、自分の中に確かな基準を持っているように思われます(その基準や信念に私が共感するかは別として)。

たとえば何か事件が起きたときに、「○○だからこれは良くないんじゃないか」のように、彼らは「自分の基準に基づいて」自分の意見をすぐにびしっと言葉にできている気がするのです。

一方、私はもう大学生になったのに、いろんな人の意見を見るたびに「そうだなぁ、そんな考え方もあるかなぁ」と、それらの意見が正反対であっても、どちらも受け入れてしまいます。あまり他人に流されないようにと気をつけてはいるので、完全に同意するわけではないのですが。

そしていざ「自分の意見はどうなんだろう」と考えて言葉にしようとすると、ものすごく時間がかかってしまうのです。

意見を組み立てる際にいつも足がかりにできる基準のようなものを、自分もちゃんと持った方がいいとも思います。でもそういうものって焦って決めるものでもないのかな、とも思ってしまいます。

結城先生は、物事に対して判断する基準をなにか持っておられますか。

また、もしそうであれば、その基準はどうやって定まったのでしょうか。

何に対しても「確かになぁ」とただ受け入れてしまうよりは、自分なりの基準や信念ってやっぱりあった方が良いのでしょうか。

結城浩のメールマガジン 2019年7月16日 Vol.381 より

回答

ご質問ありがとうございます。

なかなか大きな話ですね。これは各個人によってまったく違う話だと思うので、私の回答はあくまで一つの考えとしてお聞きください。

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