今日の私が紡ぐ言葉(日々の日記)
よく晴れた日の午後、私は散歩しながらこんなことを考えていました。
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たとえば、道に咲いている花を見ます。「ああ、きれいだな」と思います。
たとえ、似たような花を過去に見たことがあったとしても、きれいな花は何度見てもきれいです。
「数学」も、それに似ているところがあります。
結城は「数学ガール」という物語を書いています。私が書く物語に出てくる数学は、それほど難しいわけではありません。もちろん、世界最先端なわけでもありません。
難易度からいえば、高校数学や大学教養の数学のあたりをくるくる回っています。
でも、それでも、数学は楽しい。
似たような式を過去に見たことがあったとしても、同じような問題を解いたことがあったとしても、それでも、数学は楽しいのです。
それはちょうど、道に咲いている花を見るのと同じです。
何度見たことがあっても、見るたびにきれいだなと思う。見るたびに楽しくなる。そういうものです。
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花を眺めるのが楽しいように、歌をうたうのが楽しいように、友だちとおしゃべりするのがうれしいように、そのように、数学のことを考えるのは楽しいものです。
何度くりかえそうとも。
数学にまつわる文章を読むのも、数式を変形するのも、数式を読み取って新たな意味を見出すのも、とても楽しいものです。
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数学も楽しい。プログラミングも楽しい。文章を書くのも楽しい。
私が好きなことは、言葉に関係していることが多いようです。考えていることを文字として書き留めるという行為、私はそこに大きな喜びを感じるようです。
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自分にとって楽しいことは何か。自分にとってほんとうに楽しいことは何か。それを知っていることは幸せです。
大事なのは、楽しみに関して他の人と優劣を比べないことです。自分にとっての楽しみ方で、自分なりの楽しみ方で、決して悪いことはありません。楽しみ方は人それぞれだからです。
もちろん「もっとこうすればいいのではないか」のように向上心を持って進むのも大事なことです。量の面、質の面、新しさの面で追求してもいいでしょう。でも、個人的な楽しみでやることなら、そのように追求しなければならないなんてことはないはずです。
《追求してもいい》けれど、《追求しなければならない》なんてことはない。自分なりのペースで、自分なりに楽しむのでいいのです。
自分の楽しみを、他人との比較でだいなしにするのはもったいない。
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結城が本を書いたり、Web連載を書いたり、結城メルマガを書いたりしているとき、どれもこれも自分の楽しみに結びついています。
さまざまなことを自分なりに考える。その過程と結果を文章として形にする。もちろん、自分の能力や、知識や、時間に限りがあるので、その範囲に限った内容になりますが。
限りはある。でも、自分としてはとても楽しい。
混乱に満ちたこの世界の中に、ほんのわずかだけれど自分なりの秩序を発見し、それを何とかして言葉に変換する。
いま自分が理解したことを、いま自分が感じていることを、書く。
そのプロセスは、私にとって、とても楽しいものです。
自分がいま紡ぐ言葉は、いま言葉を紡ぐ自分を描きます。
もしも私の言葉が生きているならば、その言葉は生きている私を描くでしょう。
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よく晴れた日の午後、私は散歩しながらそんなことを考えていました。
今日の私が紡ぐ言葉は、どんな私を描くでしょう。
今日のあなたが紡ぐ言葉は、どんなあなたを描きますか。
結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2017年3月28日 Vol.261 より
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