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どこへも行き着かない恋(古今和歌集を読む)

古今和歌集に、こんな歌があります。読人よみひとしらずの恋の歌です。

行く水に数かくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり

現代語に翻訳するなら「流れていく水に数を書くよりもはかないこと。それは、私のことなど思っていないあの人を思うことだなあ」とでもなるでしょうか。

ここに出てくる「思わぬ人」というのは、私のことを思ってくれない「あの人」のこと。「あの人」は、私のことを好ましく感じてくれることはあるのだろうか、きっとない。「あの人」は、恋心を私に感じてくれることはあるのだろうか、きっとない。私のことなど気にもかけていないだろう。そんな「あの人」のこと。

しかし、そのような「思わぬ」人のことを、この歌の作者は「思う」のだ。思ってしまう。「あの人」のことをどうしても思ってしまう。いくら思っても、思い続けても、「あの人」は私のことを何とも思わないだろうに。それにもかかわらず、「あの人」のことをどうしても思ってしまう。どこへも行き着かず、形に残るわけでもないのに。

そのような気持ちを、作者は「はかなし」と表現する。どこへも行き着かず、何も形に残らないそのはかなさを、この作者はどうやってあらわすか。それを「行く水に数かく」ことにたとえてあらわす。

流れていく水の上に線を引き、数を数えたとしても、そんなものはあっという間に消えてしまい、後には何も残らないだろう。動かした指は水の上に何の跡も残さず、形にもならないだろう。なんというはかなさ。それと比べて、それよりもはかないというのだ。「思わぬ人」を「思う」ということを。

しかし、たとえあの人が私を思わぬとしても、私はあの人を思わずにはいられない。

こんなふうに「思わぬ人を思う」気持ちを味わってから、もう一度、読人しらずのこの恋の歌を味わう。時代を越えて、歌は人の心に染み入ってくる。

行く水に数かくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり

恋は必ずしも成就するとは限らない。思ってもらえないこともある。しかし、それは必ずしも孤独を意味しない。同じような「はかなさ」を味わい、歌に託した人がいるのだ。作者の名が知られていない読人知らずの歌だとしても。

どこへも行き着かない恋。形に残らない思い。

しかし、歌に託されたなら、その気持ちは千年の時を越えて心に届くのだ。

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結城浩のメールマガジン 2019年12月24日 Vol.404 より

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