学ぶ楽しみ、知る喜び(思い出の日記)
※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです。
うまく説明できないかもしれませんが、昨日のうれしかったことを書いてみたいと思います。
昨晩、大きな書店に出かけました。いつものようにコンピュータ書籍売り場をぐるっと一回りして、自著にそっと手を触れて「この本を必要としている方がいらっしゃいましたら、その方にどうぞ届けてください」とお祈りしました。
帰り際に、そういえば、と思って数学の本が置いてある棚に行きました。
つい先日、数学物語ミルカさんシリーズを更新したばかりなので、頭が数学モードになっていたのですね。離散数学の本を手にとって、とりあえず索引を開きます。そして、母関数の項目を探します。私がミルカさんシリーズで書いた内容が、もちろんもっと専門的な書き方で書かれています。でも、そこに出てくる数式は、私にとって、とても親しみ深いものでした。なぜって、ここしばらくミルカさんやテトラちゃん、それに「僕」ががんばって展開していた数式でしたから。それがとてもうれしかったんです。
私は数学者ではないので、数学の専門書をきちんと読むのは難しいです。っていうか、読めません。でも、一部分でもいいからそんな風に「あ、ここ分かる」って言えたのがうれしかったんです。
プログラムでも、数学でも、音楽でも、何でも、プロというものはすごいものです。ちょっと素人では太刀打ちできない何かがありますよね。でも、プロみたいにうまくはできなくても、自分なりにやってみて、本物の息吹に触れて、喜びを味わうのは大切なことだと思います。
プログラムなら、自分でコードを書いて「お、動いた!やったじゃん」と声を上げる。
数学なら、答えを導いたり、証明したり、あるいは数式をいじって確かめる——「僕」が放課後の図書室でやっているようにね。
音楽なら、自分の声で歌ったり、楽器を演奏したりする。
そういう「自分なりのペースでいいから、本音のところで楽しむ」という経験は大事だと思うんです。プログラムを仕事に利用するとか、数学を試験に役立てるとか、音楽を何かに生かすとか、そういうのも悪くない。けれど、純粋に「楽しむ」っていう経験は、馬鹿にできない。
自分の自由になる時間に何をするか。「はい、何をしてもいいよ」という時間に何をするか。自分が心から楽しめる何かをする。純粋に「私はこれを面白いと思う」という何かに取り組む。それは、とてもいいことだと思います。
その楽しみというのは、コンビニにいって「ちょっと買ってくる」種類の楽しみではありません。泥臭いプログラムを自分で積み重ねる。何枚も紙を無駄にして数式変形する。なんて自分は下手くそなんだろうと思いながら楽器を練習する。
でも、しだいに、
「あっ、うまく動いた」
「そういうことだったのか」
「いま、ちょっといい音でたよね」
という感動を積み重ねていく。そうやって到達していく「喜び」というものが絶対あると思うんです。
世の中は忙しい。
忙しいからコンビニで済ませたくなる。
でも、そればっかりじゃ味気ない。ささやかながらも自分が本気で楽しめる何かをキープしておくことは大切じゃないかな、と思うのです。
私は、数学の棚に並んだ難しい本をあちこちめくって「いやあ、さっぱりわからないなあ…。この数式もぜんぜんわからん…。あ、これは知ってる、テイラー展開!」などとつぶやきながら、小一時間楽しんでいたのでありました。
知らないことがたくさんある。学べることがたくさんある。
それって、素敵なことですよね。
* * *
※2006年1月26日の「結城浩の日記」から。
http://www.hyuki.com/d/
※このころは「数学物語ミルカさんシリーズ」と呼んでいたんですね。この日記での「更新」は「ミルカさんとコンボリューション」のことを指しています。
http://www.hyuki.com/girl/convolution.html
※Photo by webtreats.
https://www.flickr.com/photos/webtreatsetc/4185326903/
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