全体像を見せる(教えるときの心がけ)
結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2012年5月8日 Vol.006 より
こんにちは、結城浩です。
「教えるときの心がけ」のコーナーです。
今回は「全体を見せる」というお話をしましょう。
なお、このコーナーでは、お話を進める都合上、教える人を「教師」、教えられる人(学ぶ人)を「生徒」と呼んでいます。
群盲、象をなでる
「群盲、象をなでる」という有名な寓話があります。
多くの目の見えない人がそれぞれに象の体の各部分に触れて、
足に触れた人は「象は柱のようだ」といい、
尾に触れた人は「象は縄のようだ」といい、
鼻に触れた人は「象は管のようだ」といい……
という話です。
つまり、全体像を「見る」ことができないために、各部分だけを見て誤解してしまうという話ですね。
(目の見えない人ではなく、暗い部屋の人というバージョンもあるらしいです)
(ここから得られる教訓はいろいろとあるのですが、いまは省略)
この寓話を聞くと、私たちの心には、多くの人が象の一部をなでている様子が思い浮かびます。象の一部から、あれこれ判断している様子が見えるでしょう。
教師が生徒に教えるときもこれと似た状況になりかねません。教師は、教える内容の全体像を知っている。それに対して、生徒は教えられる内容をまったく知らない。生徒は、教師が少しずつ提示する情報をもとに、
「これはこういう意味かな?」
と考えを巡らせる。
これは生徒が概念の「一部をなでている」状態ですね。象の一部をなでるのと同じように、生徒は教師が提示する概念をなでる。そして、そこまでの情報をもとに暫定的な判断を下す。
「(先生の説明によれば)きっと、こういうことなんだな!」
ですから教師は、早い段階で生徒に「全体像」を見せてやる必要があります。さもないと生徒は、
「きっと、象は縄のようなものなんだな!」
と誤った判断をしてしまうかもしれません。
教師は、「全体の《像》」を生徒に見せることで、「全体の《象》」がどんな姿なのかを生徒に見せるのです。
生徒に「全体像」を見せる教え方について、二つの例を見ていきましょう。
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