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「まとはずれな批判」を批判してはいけないか

質問

noteで公開されている「エゴサーチで傷つかない?」という文章を読ませていただきました。

私は物書きではなくエンジニアなので、「自分が執筆したもの」を「自分が開発してOSSとして公開しているもの」と読み替えつつ、より一般的な話として理解しました。

今の自分では達成できていないようなことを結城さんはできていらっしゃって、心の底から尊敬の念が湧きましたし、おこがましい話ですが「羨ましい」、「いつかはこういう人になってみたい」と思いました。

それと同時に一つ聞いてみたいことがありましたので質問させてください。

内容的にまとはずれな批判が見つかることもあるでしょう。本を読まずに「きっとこういう内容だろうから、私は読まない」という種類の文章が見つかることすらあります。でも、そのような人を著者として批判することはできません。その人がそのように感じたのは事実だからです。

エゴサーチで傷つかない?

本当にこの通りだと思いました。確かにその事実は否定のしようがなく、「著者として(開発者として)」その人を批判することはできないと気づけました。

一方で、「著者として(開発者として)」ではなく「ひとりの人間である私として」そのような人に批判の心を持つことも、また許されないことなのでしょうか。

「確かに私の作ったものをこう受け取る人も世の中にはいるんだ(これは事実として存在しているので受け入れる)。それでも私は、わざわざそういう短絡的な発言をするような人にはなりたくない」といった感情は持つべきではないのでしょうか。

結城さんのご意見を聞いてみたいです。

よろしくお願いします。

結城浩のメールマガジン 2020年3月3日 Vol.414 より


回答

ご質問ありがとうございます。

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